日本中の野球ファンを震えさせる「熱男のことば」の「ポジティブ力」
はじめて明かす「心の準備59」「寡黙男」だった、本当の僕
「熱男」という代名詞もすっかり定着し、モチベーターと言われることも多くなりましたが、自分では、昔からその役割を果たせていたわけではありませんでした。
もともと僕は寡黙なタイプで、「熱男」のようなムードメーカー、元気キャラではありませんでした。大学や地元の友だちからは「ようそのキャラでがんばれてんなー」とからかわれるように心配されています。
それでも、大切な人たちとの出会いや積み重ねてきた自信が、僕を熱男にしてくれたと思っています。
僕という人間を振り返る意味でも、これまでの人生で感じてきたもの、得てきたものを「熱男のことば」としてまとめてみました。
「感覚派」と言われることが多いので、うまく伝えられないところもあるかと思います。それでも、僕が多くの人や言葉との出会いで成長してこられたように、読んでくれた方に何か熱い気持ちが生まれてくるようでしたら嬉しいです。

熱男のことば①:「指導力がない人ほど力に頼る」
最近はアマチュアスポーツのパワハラが社会問題になっていますが、指導者から学生への過度な圧力、先輩から後輩への暴力など、閉ざされた社会で人の心が弱くなると、そういった誤った人間関係に走りやすくなるのでしょう。
僕の場合は亜細亜大学野球部出身で、同部ではコーチや監督がしっかりと野球だけでなく人間性も含めて教えてくれたので、すごく勉強になりましたし、プロ野球選手として社会に出てからもプラスになりましたね。
人としてのマナーというか、野球選手である前に人間ですから。
それに、自分を律して他社を思いやることができない人間は、どんなに優れた才能を備えていても大成はしないでしょう。
意見の食い違いや結果の出ない状況を、暴力とかパワハラで解決しようとする人もいると聞きますけど、それってしっかりと教えることができないからそういうものに頼ってしまうのだと思います。また、しっかりと教えてくれる人がいなかったからそういう人が生まれてきてしまうのでしょう。
亜細亜大学野球部では、1、2年生が先に練習を終えて、3、4年生が残ってグラウンド整備をするという伝統がありました。下級生が雑用一般をするのが学生スポーツの常だと思いますが、逆でした。そのことで、上級生は「後輩が使いやすいグラウンドに」と、後輩を思う気持ちが強くなりましたし、後輩だったころには「先輩にやってもらっている」という、感謝や尊敬の念が芽生えたものです。
近ごろの若手経営者の方のなかには「働いてくれている従業員への感謝」という言葉を用いる人が増えてきたように思います。これは、亜細亜大学野球部に通じる理念のような気がします。一方で、露骨に「使用人風情が」と言い立てるタイプの経営者も少なくありませんね。
どちらの経営者が正しいかというのは一介の野球選手である僕にはわかりませんが、大学野球の例で言うなら、上級生と下級生、より練習が必要なのは下級生です。なので、上級生が雑用をやるのはチームとして合理的です。
僕は「勝利」という目的に対して自分自身が納得できるチーム運営がなされている組織のほうがやりがいがありますね。