2019.03.30
# 世代 # 本

なぜ「昭和33年度生まれ」は、こんなに多士済々なんだろうか

百恵ちゃん、原監督に、あのマイケルも
四家 秀治 プロフィール

今、最も旬な同級生芸能人・吉田鋼太郎

昭和が終わり、時代は平成に入る。1991年(平成3年)、歴史を変えた同級生が現れた。へアヌード写真集『Water Fruit 不測の事態』を発表した樋口可南子である。これは日本における写真集の革命だった。彼女は1978年に TBS系列の連ドラ『こおろぎ橋』(今、この放送枠はない)のヒロインでデビュー。むろん、歴史を変えただけではなく息の長い大女優である。

喜劇王藤山寛美の娘、藤山直美は1992年の朝ドラ『おんなは度胸』の脇役で全国区になった。そして14年後の同じ朝ドラ枠では史上最高齢47歳で『芋たこなんきん』のヒロインを演じている。2017年に初期の乳がんであることを公表、摘出手術に踏み切り、昨年復活した。

漫画界で独特な世界を構築した才能もいる。80年代、江戸風俗の生き生きとした描写でメジャーな存在になった杉浦日向子は、漫画家としてのみならず江戸風俗を語るうえで欠かせない人物であった。まだまだ活躍してほしかったが、2005年に急逝した。漫画だけに留まらず、エッセイ、作曲まで手がけるマルチな才人・久住昌之は、『孤独のグルメ』で漫画原作者として新しいジャンルを確立した。原作ドラマは海外でもヒットしている。

90年代には、同級生の芥川賞作家が誕生した。1992年にデビューした藤沢周は『ブエノスアイレス午前零時』で芥川賞を受賞。2014年には舞台化もされている。

2000年代に入ってからも、同級生作家の受賞は続く。中学の教員、保険代理店業を経て、1997年にデビューした熊谷達也は、2004年、『邂逅の森』で山本周五郎賞と直木賞をダブル受賞。文藝春秋社の編集者だった白石一文は、1992年に作家デビューし、2007年に『ほかならぬ人』で直木賞受賞。父の白石一郎に続き、初の親子二代受賞となった。

今や日本を代表する華道家、フラワーアーティストの假屋崎省吾が広く世間に認知されるのは2000年代からだ。目黒雅叙園の百段階段での個展「華道家 假屋崎省吾の世界」は2000年から2016年まで毎年開催されて、入場者が延べ100万人を超えるスーパーイベントだった。

2015年には、同級生からノーベル賞受賞者が誕生した。「ニュートリノ振動の発見」で物理学賞を受賞した梶田隆章である。彼の発見がどれほどすごいことなのかは理解できていないが、ノーベル賞を受賞した彼が、同世代の理科系の星であることはまちがいないだろう。ちなみに梶田隆章は幼い頃、「お茶の水博士になりたい」と言っていたそうだ。

これだけ人材豊富な年度にもかかわらず、政界はなんとも地味だ。唯一の大臣経験者が稲田朋美。失態続きで辞任した彼女を世代の代表と推す人はいないだろう。政治家に人材が薄いのは、「しらけ世代」ゆえの特徴なのだろうか。

そして今、最も旬な同級生芸能人は、たぶん吉田鋼太郎だろう。私が彼を知ったのは、2013年放送のドラマ『半沢直樹』(TBS系列)での主人公・半沢の上司役によってである。私生活では結婚が4回だそうだが、彼には今後もモテ男でいてほしいものだ。

あまりにすごすぎるアメリカの同級生

最後に番外編だが、外国人の同級生にも触れておこう。

1967年、わずか9歳で兄弟グループ「ジャクソン5」のメンバーとしてデビューし、その後、世界の超スーパースターとして君臨し続けたマイケル・ジャクソン(2009年没)、1978年のデビュー以来、1億2000万枚のレコード(CD)を売り上げ、多くのミュージシャンに影響を与えたカリスマ・プリンス(2016年没)、そして、1982年にデビュー、1984年の『ライク・ア・ヴァージン』以降数多くのヒットを飛ばし、「音楽界で最も偉大な女子アーティスト」という評価も得ているマドンナ。この3人のアメリカ人ミュージシャンも、皆同級生である。

とはいえ、3人とも、あまりに存在が大きすぎて、同じ時代を生きたと言われても、まるで実感が湧かない。私が半ズボンで万博会場を走り回っていた頃、マイケルは、ヒットチャートでビートルズと競り合っていたわけだから。

享年50歳。史上最も売れたミュージシャンの一人であり、世界で最も有名な黒人アーティストである

こうやってざっと並べると、昭和33年生まれの同級生には、多岐にわたって活躍するバラエティ豊かな人材が多いことがわかっていただけたと思う。

これだけ多士済々な人材が生まれた背景には、これまでの人生の前半期にあたる昭和の30年間が、世の中が豊かになる、まさに経済大国日本の恩恵を甘受しながら生きることができた時代だったことがあるだろう。

テレビが普及し、扇風機とストーブだった冷暖房はこの時代にエアコンがあたりまえになり、冷蔵庫、洗濯機もその性能が急速に発展し、電子レンジはほとんどの家庭に置かれるようになった。便利になる喜びを感じながら成長し、大人になった。豊かさは可能性に繋がり、人生の希望も持ちやすかったのだ。

一方で、バブル崩壊以降の日本、平成の30年間には、閉塞感ばかりが漂ってしまっている。

私自身は何も成し得ることなく還暦を迎えてしまったが、これからの我々の使命は、若い人たちが希望を持てる、生きることがより楽しくなる世の中にすべく、頑張ることなのではないだろうか。人生100年とも言われる時代だ。昭和33年度組にもやれることはまだまだたくさんあるはずだ。


 
 
「ぼくら『昭和33年』生まれ」四家秀治(言視舎)    さまざまなジャンルで人材豊富な昭和33年度生まれ。この記事で触れることができなかった方々は、この本に取り上げています。同年代のみなさま、ぜひ同窓会のお供にどうぞ!

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