2019.04.05
# フランス

「妊娠は病気じゃない」の意味、日本とフランスでこんなに違います

フランスに探る男女連携社会の作り方③
髙崎 順子 プロフィール

命に関わらなければ「正常」なのか

医学的な見地で「正常なお産」と「異常なお産」を分け、フォローの枠組みが変わる日本の線引きは、一見とてもクリアだ。そして現在ではそのどちらにも、支援制度がある。

しかし、実際に妊娠出産を経験したものとしては、この「医学的に正常か、異常か」の線引き自体に、どうしても、苦々しい思いを抱いてしまう

前述した通り、「医学的に正常」であっても、妊娠は女性にとってしんどいものだ。妊娠前には軽傷で済んだ感染症や転倒が引き金で、胎児死亡や母体の大出血に繋がる可能性は、どんな妊娠にもある。妊娠はそれ自体が、命に関わるハイリスクへの入り口なのだ。「異常」が起きていないときですら。

そして医学的見地ではなく、女性の体を人生全体から俯瞰するなら、妊娠出産こそ「異常期間」と私は思う。これは妊娠出産を経験した人なら、多く賛同してもらえる実感だろう。

妊娠中の9ヶ月間の体はあなたにとって「正常」でしたか「異常」でしたか? 「健康」でしたか「弱って」いましたか? そう問われて、迷わず「正常」「健康」と答えられる女性は、一体どれだけいるだろう。実際、月に一度の定期検診が必要なくらい、妊娠中の女性の体はそれまでとは違うのだ。

そしてこの「正常」と「異常」で妊娠を分ける観点こそが、日本社会の妊婦への無理解・不寛容と繋がっているように、私は感じてしまう。「正常な妊娠」が医者の介入の必要ない、医療保険の対象にもならないものなら、配慮の必要はないだろう。「甘ったれたことを言うな」という風に。

しかも妊娠出産に関係ない人々は、その冷たいスタンスを疑問に思うこともないのだ。彼らは国の制度が表すように、「妊娠は健康な自然現象」と思っている。だから配慮する理由も必要も感じない。異常じゃなければ正常、それが妊娠なのだから、と。

 

社会から妊娠のしんどさを減らすには

妊娠はしんどい、でも社会はそれを理解しない。そんな状況では、少子高齢化も致し方ないように思えてしまう。しかしそれを放置しては、日本は先細りの一方だ。この状況を変えて行くには、どうすればいいだろう。

一番のキモは、「妊娠は病気ではない」に続く、「だから健康だ」との固定観念を変えて行くことだと、私は思う。そしてその方策を思案すると、「男女連携」というこの連載のテーマに思い至る。

「妊婦の苦しさを理解しない社会」の半分は男性で構成されており、その社会の仕組みを作る意思決定層の大多数も、男性だ。そして現時点で、彼ら男性の子をしんどい思いで妊娠出産するのは、男性自身ではない。それができるのは女性だけだ。 

「妊娠はしんどいのだ。妊娠しているだけで、女性の体はいつもより弱くなり、正常な状態ではないのだ」。全世界共通の妊婦のリアルをまず、日本社会全体が認める。それを受けて意思決定現場で男女が連携し、妊婦の脆弱性を、あらゆる場面に反映していく。

法律や制度の変更に時間と労力がかかるなら、まずは妊婦を囲む一人一人の考え方から、変えていけないだろうか。産婦人科の待合室で席を立つ男性が一人増えれば、そこに座ってしんどさを軽減できる妊婦も一人、増えるのだ。

フランスで妊婦を「守るべき、弱い存在」と法律で決定し、医療保険で全額負担する仕組みを作ったのも、男性多数の現場だった。文化も歴史も異なる国と同じやり方はできないが、その発想や考え方を「他山の石」とすることはできる。「妊娠は病気じゃない。甘ったれるな」の呪いに傷ついた一人として、私はその変化を、切実に願っている。

(これまでの連載記事はこちらから)

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