「出世・金儲けしたいなら修養せよ」少年たちの心を掴んだ修養主義

大衆は神である(46)
魚住 昭 プロフィール

次に掲げるのは、音羽邸勤務の少年たちの日課表(昭和5年4月ごろ)である。それを見ていただければ、清治が目指した少年部教育がどういうものか明らかになるだろう。

午前5時45分、起床。邸内の広場の一角に集合、点呼を行う。

同6時より7時まで朝掃除を行う。

同6時半より8時まで剣道の練習(古参少年中都合つくもの)。

同7時より、8時まで朝学――内容は、手紙の書き方、帯の締め方、電話のかけ方、電車の乗り方、言葉の使い方、物の買い方、雑誌の出来るまでの筋道、社長講演集の熟読会……。

同8時、朝食。

同8時40分から1日の仕事が始まる。野菜の手入れ、堆肥の積み替え、溜めかつぎ(「肥溜めかつぎ」のことか)、植木の手入れ、流しの掃除、庭掃除、廊下・欄干・硝子(ガラス)磨き、倉庫整理、水くみ……。

昼前には新人少年たちが剣道の基本を習ったあと、全員昼食となる。

午後1時より再び作業にかかり、夕方は1時間半の剣道で汗を流し、6時にはリーダーの少年より今日1日の講評を受けて夕食の膳につく。

食後2時間の修養会が開かれる。演説、討論、文章修練、手紙の書き方、習字、珠算、人物批評、偉人物語・美談逸話の発表、自己反省……。

9時半より一同入浴して10時ごろ就寝。

しかし日直の少年にはまだ大事な仕事が残っている。清治と左衛は毎晩、床につくと、枕元で少年に雑誌の小説などを朗読させ、それを聞きながら寝入る。日直が朗読の義務から解放されるのはたいてい午前2~3時ごろだった。

もうおわかりだろう。清治は、偉くなる道は「仰いではたきをかけ、俯して雑巾をかける間にもある。飯を食べる、客を迎へる、使ひに行く、口上を述べる。お辞儀をする。その間にも」あるという彼の「修養主義」の精髄を少年たちに徹底的にたたき込んだのである。

旦那様

のちの昭和7年(1932)にまとめられた『少年部の常識と心得』という分厚い冊子には、少年社員が日ごろ心がけるべきことが細々と書き連ねられている。

そのうちのいくつかを挙げると、音羽邸では、

〈一、旦那様(=清治)のお写真のある部屋へ入つたならば、直接お会ひした気持で丁寧に頭を下げること〉

点呼のときは、

〈一、どこ迄も厳粛敬虔な気持で参集すること。少年部の点呼は単なる点呼ではない、一種の祈りにも比すべきものである。旦那様のお写真を拝して何事か祈らなければならぬ〉

使いで寄稿家宅に出向いたときは、

〈一、(玄関の)下駄が乱れて居つたら揃へるとか、新聞が落ちて居つたら拾つて上げて置くと言つたやうに、万事に気を利かせること〉

また、清治から、

〈一、別荘に呼び寄せられた場合は、何の為にお呼び下さつたかを十分了解して、その思召しに反かないやう心すること。

一、社にゐると旦那様にお会ひする機会が少いが、別荘は多くの場合常にお話や御注意を直接戴くことが出来るのであるから、そのお言葉の一言一句も、聞きもらさないやうに努めること〉

といった具合である。

少年たちに休憩時間はない。日曜日や祝日の休みもない。あるのは年に1度、正月の2~3日の休みだけだ。これを酷使ととるか、教育ととるかは読者のご自由である。

註① 以下、文部省編「日本の成長と教育」(昭和37年度)第2章のグラフから読み取ったおおよその数値を記す。http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpad196201/index.html
 

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