24歳でリウマチを発症し、薬漬けだった23年間。ある日、顔を洗っているとザラザラした塊を手に感じた。鏡を見ると、顔中に紫がかった湿疹がいくつもある。
私は一大決心で薬を止めて、治療方針を変えた。発病から30年をすぎて、今が一番元気だと言える。まだ、よくなるための闘いは続いている。よくなるためにつらく苦しいとは予想していなかった。これは「健康」に近づく私の経験である。
リウマチは24歳から突然始まった
快晴の中、心地よい風を感じながらヨットでセイリングをした油壷からの帰り道、車は横浜新道から第三京浜に入るトンネルの前のカーブにさしかかった。急に右手首に稲妻が走った痛みを感じた。同時にドライアイスの煙に似たヒヤッとしたものが身体を流れていく。「あぶない、事故を起こしてはいけない」と左手でハンドルを強く握った。

第三京浜の直線道路に入っても、ハンドルを持つとキーンと痛む。痛みが軽い位置でハンドルに手を添えて、ただ前の車を見ながら運転する。5月の夕方、背中に夕陽を感じながら料金所まで無事に着くことだけを考えた。
料金所でお金を払おうとした時には痛みは消えていた。あの強烈な痛みは何だったのだろうか。気が付かないうちに手首をねじったのだろうか。一時的なものだと信じたかった。
母の苦しみを身近に見てきた
というのも、私が3歳の頃に母は弟の死産でリウマチを発症した。急な高熱とともに痛みで起き上がれない日々が始まった。
リウマチは膠原病のひとつで、自己免疫疾患、つまり自分の生体成分を自分で破壊していく病気である。病気を引き起こすリンパ球の働きを抑え、自己抗体が作られるのを抑えるために、治療には副腎皮質ホルモン・ステロイド剤や免疫抑制剤を用いている。
母が痛みを顔に出さないように頑張っているのは子ども心にわかっていた。私は気付かないふりをし続けた。シオゾールやステロイド剤、痛み止めなどの強い薬を長年服用し、手足の手術を繰りかえした。
腎不全で倒れてからは、週に3回の腎臓透析をする。またアミロイドーシス、シェーグレン症候群という難病指定の病にもとりつかれた。
透析となると水分は1日300CCしか飲めなかった。それには薬を飲む水も、お味噌汁やスープの水分も含まれる。カリウムが多い生野菜や果物も禁止である。死に至るからだ。
母の体重は35キロまで落ちた。薬を飲んでいるのに、関節の痛みも変形も増していった。家の廊下にはイスが置かれ、母は移動の時に途中で休みながら進む。足首や膝の関節も変形して痛みを伴うので、イスから立ち上がる時は覚悟して一気に動く。