ドイツの伝統企業バイエル社が「訴訟連発」で深刻な危機を迎えていた

自動車、銀行に続き化学産業まで…

ドイツ化学産業の雄が…

ドイツのバイエル社が、アメリカのモンサント社を吸収したのは、去年の6月のことだった。どちらも化学産業の老舗だ。

独バイエル社は1863年創業で、元は染料会社。それが解熱鎮痛剤「アスピリン」を発明し、製薬会社として有名になり、その後、世界的な化学工業及び製薬会社に発展する。「アスピリン」は、今に残る永遠の名品だ。

バイエル社は、アスピリンだけを語ると普通の会社のようだが、過去の存在は、それほど他愛ないものではなかった。1904年、BASF社、アグファ社とグループを形成し、利益を伸ばし、第一次世界大戦の軍需に大いに貢献している。毒ガスを製造したのも、このグループだ。

戦後、そこにヘキストなどの他の化学企業が加わり、1925年、IGファルベン社が出来上がる。同社はいうまでもなく化学産業の複合企業で、当時、ヨーロッパ一、世界で4番目の規模だった。

その後、同社は全面的にヒトラー政権と協調しつつ、強大な権力を握っていく。ナチ党の選挙資金も、多くはIGファルベン社から出たといわれる。両者の繋がりは、IGファルベン社なくしてヒトラー政権の台頭はなかったと言われるほど密だった。

IGファルベンの規模拡大を示す1930年のポスター〔PHOTO〕gettyimages

ヒトラー政権確立の後、IGファルベン社は税の免除、あるいは収容所の囚人の借り受けなど、多くの特権を享受した。アウシュビッツに作った人造ゴムの工場では、そこで働かせる囚人を住まわせるため、独自の強制収容所まで持っていた。

当時、ヨーロッパで孤立していたドイツでは、すべての資源が不足しており、IGファルベンの生産する人造ゴム、人造石油が極めて重要だった。これ無しにはタイヤも作れず、飛行機も飛ばせなかったからだ。

なお、アウシュビッツでユダヤ人殺害に使われたとされる殺虫剤チクロンBも、IGファルベン社の製品である。ちなみに、アウシュビッツの人造ゴム工場は、戦後、ポーランドに没収され、現在も、ポーランド随一の製造量を誇っている。

IGファルベンは、戦後、連合軍により解体され、バイエルも、BASFも、アグファも、ヘキストも、それぞれの企業に戻った。各社とも現在、国際資本の化学コンツェルンだ。

 
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