2019.04.20

謎めいた「辣腕投資家」に魅入られた証券ディーラーの大誤算

東京マネー戦記【10】2004年
森 将人 プロフィール

頼られているはずだ

ぼくの結論は買いだった。根拠はいうまでもない。鳥飼が関心を示していることだ。割安な債券をまとめて買って、マーケットにインパクトを与えるのが好きな鳥飼のことだ。派手に動く可能性は十分にある。

その動きに乗りたかったが、在庫がないので買い集めるしかない。しかしぼくの買いがJ社の社債の値段を高めてしまえば、鳥飼の動く余地が狭まってしまう。選択肢は限られていた。

「先回りして買っておくんか?」

「そうです。鳥飼さんが買っていることがわかれば、J社の売りものがなくなってしまいます。その前に抑えておきたいんです」

「ちょっと待てや。鳥飼がいっとるのは、正式な発注やないんやろ?」

「口調からは明らかです。買いたいんですけど、それを探られないように情報を集めてるんです。鳥飼さんがよくやる手法です」

「お前がそこまでいうなら反対せんけど、裏切られたら逃げられんで。ほかに買い手なんておらんからな」

逃げるとは、ぼくに在庫だけ集めさせて鳥飼が購入するのを止めることだ。

ぼくはうなずくと、鳥飼が悩む表情を思い出した。鳥飼がJ社についてどれだけの証券会社に相談したのかわからないが、口調からは、ぼくだけでもおかしくないような気がする。頼られているという感覚を信じたかった。

 

彼女との時間も…

その頃、ぼくのプライベートでの一番の関心は、いつ彼女と身を固めるかだった。

彼女との出会いは、学生時代だった。ある就職情報誌の編集アシスタントをしていたときに、広告代理店のアルバイトとして原稿を入稿していたのが彼女だった。音大のピアノ専攻出身で、将来は音楽指導者の道に進みたいといっていた。

弟がぼくの部屋から出ていくと、本格的に彼女との同棲生活がはじまった。マンションは古かったが、毎日の生活は新鮮だった。

彼女は大学を出ると音楽製作会社に就職したので、毎日夜が遅かった。ディレクターとしてアーティストのプロデュースからイベントの企画、運営までを幅広くこなす。人数が少ないからか、常にいくつかの仕事を掛け持ちしていた。

サラリーマン生活を送るぼくにとって、彼女とのつき合いは刺激的だった。しかし夜遅くまで仕事をして、明け方に帰ってくる彼女と朝型生活のぼくとは、生活サイクルが違い過ぎた。会う時間が限られてくると、疑問が生じはじめていた。

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何のために一緒に暮らしているのか。互いに尊敬できる部分があるからこそ同棲しているのだが、この先に何があるのだろうか。ぼんやりと結婚するプランはあるが、言葉にして確認せずにここまで来ていた。

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