2019.04.20

謎めいた「辣腕投資家」に魅入られた証券ディーラーの大誤算

東京マネー戦記【10】2004年
森 将人 プロフィール

週末の夜は、彼女と二人で外食することが多かった。学生時代からよく行くレストランがいくつかあり、自由が丘にある店を予約したときのことだった。

いくら待っても彼女が来ない。待ちぼうけを食らったぼくに気を遣ってか、顔見知りのウェイトレスがグラスワインを持ってきてくれた。彼女が駅からタクシーを飛ばして来た頃には、約束の時間から1時間半が過ぎていた。

 

「ごめんね、遅くなって」

「どうしたんだよ」

「仕事から抜けられなくて。どうにか調整してきたの」

「1週間も前からわかってて、どうしようもないものなのか?」

「いきなり入ったから仕方ないのよ。そういうこともあるでしょ」

「俺だったらもうちょっとうまくやるよ。仕事のやり方に問題があるんじゃないのか?」

いってはいけないことはわかっていたが、ふと口から出てきた自分の言葉を止めることができなかった。

「何であなたに、そんなこといわれなくちゃいけないのよ。私の仕事も知らないで、勝手なことをいわないでよ」

店の奥の席なので、ほかの客に聞こえることを意識しなくていいのが幸いだった。しばらく二人で黙って食事をした。

ぼくは前年に30歳を迎えていた。まだ子どもを持つことを意識していたわけではないが、どこかで生活を切り替えなければいけないような気がしていた。本当に今のままでいいのだろうか。いつになく、二人の関係が頼りなく思えた。

動きはじめたマーケット

「売り手が見つかったで」

マーケットが動きはじめたのは、ある投資家の売り引き合いがきっかけだった。投資の失敗で損失を計上した銀行が、保有社債の売却を検討しているという。営業担当者から寄せられた保有リストに、J社の名前があった。

「いつ売る予定なんですか?」

「なるべく早く売りたいらしいで。金額は申し分ないやろ」

「10億円もあれば十分です。問題は安くとれるかどうかです」

「いくらでもいいから売りたいらしいからな。買い手の希望価格に合わせて取りに行くんやろな」

安くなければ鳥飼は興味を示さないだろうが、すでに価格は発行価格を大きく割り込んでいる。売り手の銀行がどこまで損失を受け入れることができるかがポイントだった。

「すぐに鳥飼さんに訊いてみます」

ぼくが電話すると、鳥飼の反応は予想外に冷静なものだった。

「本当にそんな価格で、売りが出てきそうなんだな?」

「そう聞いてます。鳥飼さんに興味があれば、早めに売り手に伝えます。のんびりしてると、ほかの投資家に取られてしまうかもしれません」

「わかった。ちょっと時間をくれ」

ぼくは電話を置くと、売り手側の営業担当者に意向を伝えた。感触は悪くない。すぐに回答が来ると思うので、売りの準備をして欲しい。問題は価格だった。提示より低い価格を要求してくると思うが、交渉の余地があるかどうか。

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