新元号「令和」にまつわる〈5つの誤解〉を漢文のプロが斬る

漢字二字に様々な意味が詰まっている
今日5月1日から令和の時代がスタートする。4月1日の新元号発表から1ヵ月、この二文字についてさまざまな意見が飛び交ったが、そのなかには誤解に基づくものも少なくない。明治大学教授で中国文学が専門、漢文のプロフェッショナルである加藤徹氏がその誤解を解く。

さる4月1日の昼、国民の目はテレビに釘付けだった。菅義偉官房長官は発表の会場で、新元号「令和」を毛筆で書いた台紙を見せたあと、こう述べた。

「新元号の典拠について申し上げます。令和は『万葉集』の『梅の花の歌三十二首』の序文にある『初春の令月(れいげつ)にして 気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ 梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き 蘭は珮後(はいご)の香を薫(かお)らす』から引用したものであります」

このときからSNSやメディアに、新元号に対する賛否両論がわきおこった。

意見を述べるのは万人の自由だが、誤解も散見される。

『万葉集』は奈良時代の日本の古典だが、典拠の序文は漢文である。以下、原文を示す。

梅花歌卅二首[并序]  
天平二年正月十三日、萃于帥老之宅、申宴会也。
于時初春令月、気淑風和。
梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。(以下略)

天平二年、西暦730年の旧暦1月13日。九州の大宰府(現在の福岡県太宰府市にあった役所) の長官であった大伴旅人(おおとものたびと)の邸で、梅の花を観賞しながら和歌を詠む優雅な宴会が開かれた。この序文は、宴会の趣旨と様子を、美文調の漢文で説明したものである。

たしかに『万葉集』は日本の古典である。しかし、この序文が当時の国際語である漢文で書いてあることからもわかるとおり、『源氏物語』や『徒然草』などとはかなり違う。以下、世間で散見される誤解をいくつか取り上げ、解説する。

 

「中国の属国ではない」という意識

【誤】 新元号「令和」は脱中国化を象徴している。
【正】 脱中国化は最初の元号「大化」以来である。

歴史的に見ると、日本の元号のコンセプトは、最初の「大化」からずっと「脱中国」だった。

「正朔(せいさく)を奉ずる」という言葉がある。天子の統治に服従して藩属国となることを言う。天子の称号は、時代や国によって異なる。始皇帝以降の中国では「皇帝」、それ以前は「王」。わが国では「天皇」である。

「正朔」は元日の意で、転じて暦も指す。昔の東アジアでは、天子は領土という空間だけでなく、年号という時間をも支配した。

中国の周辺国で、独自の元号を継続的に使うことができた国は少ない。

朝鮮半島の歴代王朝は、中国の皇帝から冊封(さくほう)を受け藩属国となった。朝鮮の君主は、中国の「皇帝」より格下の「王」を名乗ることを強要された。また、朝鮮の歴代王朝は元号の自主制定権も認められず、古代から近代に至るまで、中国の元号をそのまま使った。

日本は違った。聖徳太子以来、日本は島国という地の利を生かして、中国との対等外交を国是としてきた。日本史で、中国の皇帝から冊封を受けて即位した天皇はいない。元号も、琉球(沖縄)などの一部の例外を除き、日本は独自の元号を使用してきた。「わが国は中国と対等だ。中国の属国ではない」という意志表示でもあった。

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