富士フイルムが生き残った理由
直近の例では、トヨタがソフトバンクと提携し、今後は脱自動車、「すべての人に安心、快適なモビリティをお届けする」事業に進化していくことを宣言しています。

もともとトヨタは自動織機メーカーとしてスタートした企業です。昭和初期に「これからは自動車の時代だ」と看破した二代目社長が自動車産業への参入を決意。そこから今日の、世界的な自動車メーカー・トヨタの歩みが始まったのです。
会社の名前は変わらないけれど、事業内容はがらりと変わった例では「富士フイルム」のケースも広く知られています。
2000年ごろから始まったカメラのデジタル化にともない、フィルム市場は10年間で10分の1まで縮小するという大激変に見舞われます。
このとき、富士フイルムは創業以来の大変革を行い、今日では医療、化粧品、液晶ディスプレイ、ITの企業になることで生き残りに成功、売上は2000年当時の2倍以上に発展させています。一方、同じ時期に、以前は富士フイルムをしのぐ世界的フィルムメーカー・コダックは2012年に倒産してしまいました。
富士フイルムの劇的成功は「企業とは変化対応業である」ということを強く感じさせます。
「トヨタ、富士フイルムのような世界的な企業の話を聞かされたって、うちのような中小企業では参考にならない」と考えているとしたら大間違い。こうした巨大企業でさえ、時代とともに事業内容を大きく変革し、その結果、さらに巨大化していくという道をたどって今日がある、ということを学び取ってほしいと思います。
中小企業であればいっそう小回りが利き、変革しやすいはずです。
「朝令暮改」、つまり、いうこと、考えることがくるくる変わることは、かつてはいけないことだとされていました。
しかし、変化の波が激しく、しかもそのスピードがこれまでのどの時代にもなかったほど速い現在では、経営者の考えが柔軟で、行動に移すのが速い企業ほど、生き残り、そして今後の発展の可能性は大きいのです。