ピエール瀧が笑ってはいけないのか? 「罪と友情」を混同する人々へ

石野卓球の態度から学ぶべきこと
原田 隆之 プロフィール

批判記事の無知と偏見

一番ひどかったのは、あるスポーツ新聞に掲載された記事である。

そこでは、「石野卓球との写真で見せたピエール瀧の笑顔 神妙な顔での謝罪は何だったのか」と題して、「今すべきは、20代から陥った薬物中毒から脱却する治療や更生のはずだろう」と述べている。

そして記事は、「ドラマや映画の撮り直し、CDの回収で事務所や自らへの損害賠償は10億円以上とも予想される。現状を思えば、笑顔はあまりに不自然」「これほど残念な友情写真は見たことがない」と結んでいる。

たしかに、ピエール瀧さんが、今最も真剣に向き合うべき問題は、薬物であることは間違いない。とはいえ、ここにも大きな無知と偏見がある。

まず、「薬物中毒」という言葉の使い方は、ここでは基本的な間違いである。「中毒」というのは、薬物の作用が出現して機能障害を起こしていることを指すのであり、実際に彼がそういう状態にあるのかどうかはわからない。

おそらく、書いた本人は「薬物依存」と言いたかったのだろうが、これもまだ当人が薬物依存症に陥っているのかどうかは、わからない。

薬物を使ったからといって、誰もが皆薬物依存症になるわけではない。また、使用が長きにわたっているからといって、それは断続的だったかもしれず、必ずしも依存の重症度の指標ではない。

さらに言えば、どうして彼が今、「治療や更生」をおろそかにしていると断言できるのだろう。治療や更生に向けて努力することと、友人と肩を組んで笑顔を見せることは、両立しえないことなのだろうか。私はむしろ逆だと思う。

 

薬物からの回復

もし仮に依存症であったとしても、その治療や更生にあたっては、いつも反省の色を顔に浮かべて暗い毎日を送らなければならないのだろうか。治療とは、笑うことも許されない苦行のようなものでなければならないのだろうか。

かつて、フィリピンの薬物問題について『現代ビジネス』に寄稿した際、現地の専門家から学んだこととして、2つの言葉を紹介したことがある(「薬物依存症患者と接するなかで学んだ、二つの大事なこと」)。

1つは、「回復は楽しい(Recovery is fun.)」ということである。

日本では、薬物使用者があたかも極悪人のように社会的に吊るし上げられ、社会の隅に追いやられる。一方、フィリピンではかなり事情は異なっている。

もちろん、フィリピンでも薬物使用は犯罪である。そして国際問題になっているように、超法規的に殺害されることすらある。

しかし、そんななかにあって、薬物問題の専門家は、懸命に薬物使用者の治療と更生に尽力している。そして、友人や家族、地域社会もそれを真剣に支えている。

フィリピンの薬物リハビリ施設の治療プログラムでは、もちろん過去の行為への反省もするし、償いの計画も立てるが、同時に「薬物のない人生を楽しむ」ことを教えている。

薬物をやめれば、心身の健康も改善されるし、家族や仲間との関係も好転する。薬物の呪縛から解放されば、自由に使える時間やお金も増える。捕まるのではないかという不安もなくなる。

薬物依存症の治療目標は、たんに「薬物をやめる」ことではない。薬物をやめて生まれ変わった自分を、そしてその後の人生を楽しむことこそが、治療の目標であるはずだ。

「苦行」は長くは続かない。反省も大事であるが、その一方で、楽しみながら治療を続けることが、一番効果的だということだ。

「神妙な顔での謝罪は何だったのか」と記者はいぶかるが、神妙な顔も今回の笑顔もどちらも嘘ではないだろう。「神妙な顔をしながら、裏ではほくそ笑んでいるのではないか」などと邪推するほうがひねくれている。

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