ピエール瀧が笑ってはいけないのか? 「罪と友情」を混同する人々へ

石野卓球の態度から学ぶべきこと
原田 隆之 プロフィール

回復を支えること

フィリピンで学んだことの2つ目は、「家族や仲間が回復を支えないと、誰が支えるのか」という言葉である。

日本では薬物で逮捕されると、離婚されたり、友達が離れていったりして、孤立してしまう人が非常に多い。これは、このことを知ったフィリピンの専門家が、大きな驚きとともに述べた言葉である。

家族や地域の絆の強いフィリピン社会では、周りの人々が親身に薬物使用者の立ち直りを支えている。

石野さんの写真を批判した記者は、そんな「悪人」とは縁を切れとでも言いたいのだろうか。あるいは、頭を丸めて土下座する写真でも投稿すれば気が済むのだろうか。

ピエール瀧さんは、報道では離婚もしないそうであるし、このように満面の笑顔で迎えてくれる仲間もいる。それは、彼の財産であり、彼がこれまで築いてきた信頼関係や人生の軌跡を雄弁に物語っている。

何より、それが今後の彼の人生にとって、一番大切なものであることは言うまでもない。それは称えらえるべきものであるし、あの写真こそが更生へと向かう姿でもあるだろう。 

彼らを不謹慎だと断罪する人々は、自分が窮地に陥ったとき、こうして肩を組んでいつもと変わらぬ笑顔を向けてくれる友がいるかどうか、胸に手を当てて考えてみるべきだ。

 

メディアの過剰防衛

また、記事では、多くの人々に迷惑をかけ、巨額の損害賠償が予想されるなかで、不謹慎だという批判もされていた。

しかし、この損害賠償であるが、いつから日本はこのようなことになってしまったのかと嘆くほかない。芸能人が逮捕されるたびに、競うように回収、編集、差し替え、自粛のオンパレードである。

また、冒頭に述べた保釈時の「謝罪セレモニー」についても同様である。いつから、こんなことをしなければいけなくなってしまったのだろう。

もちろん、影響力の大きな芸能人であるから、犯罪に関わったともなれば、その露出に対して批判があることはわかる。記者会見など、公の場でコメントを求められることもあるだろう。

しかし、特に明確な被害者がない薬物事犯の場合、このような一連の動きは著しい過剰反応であるように思う。それは、批判をされたくないメディア側の自己防衛(過剰防衛)である部分が大きい。自分で「損害」を過剰に作っておいて、その賠償を求めるということには、かなりの違和感がある。

このとき、もう1つ考えるべきは、メディアの受け手であるわれわれの側の態度である。

メディアが過剰防衛するのは、われわれ視聴者の批判を恐れるからである。多分、逮捕された芸能人が出演する番組などを流したら、石野さんのツイートに批判をしたような種類の人々が苦情を寄せるのだろう。

放っておけば、過剰になる一方であるので、今後のためにも、視聴者、メディア、専門家がきちんと議論すべきである。

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