なぜ多くの日本人が「原発問題」について思考停止に陥ってしまうのか

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堀 有伸 プロフィール

なぜ思考停止に陥ってしまうのか

本来ならば、ここで原発についての現実的な議論に進みたいところです。

しかし私にはそこを科学的に論じるための専門的な知識や経験はありません。然るべき方々がその作業を行って下さることを切望します。

その代わりに、他の部分では妥当性のある行動を取ることもできる日本人が、なぜここで全くの思考停止に陥ってしまうのかを、深層心理にまでさかのぼって考察したいと思います。

そうするのは、自分の持てる能力を用いて、日本社会が危機的な状況を乗り越えることに貢献したいと願っているからです。

原子力発電は国策として行われてきました。そして、日本人にとっての「国」、つまり日本をめぐる表象群は、他国以上に強烈な無意識のコンプレックスを形成しています。

国策の是非を論じることは、このコンプレックスが刺激されることであり、その際には意識的な統制を失った言動が現れやすくなります。

それを避けるために、なるべくこの主題に触れないようにして自分の心を守ろうとする反応が出現することも、珍しくはありません。

この無意識のコンプレックスに私は「日本的ナルシシズム」と名前をつけ、考察を積み重ねてきました。その根本は、重要な他者への「融合的な関わり方」です。

日本の組織では、独立した個人が、それぞれの個性や基本的人権を尊重しながら構築していく関係性が組織運営の基盤にはなっていませんでした。その代わりに、組織への心理的な融合が強く求められたのです。

組織への批判的な発言を行うことは、組織の活動に「水を差す」行為であると忌避されます。明確に言葉で表現されたルールや契約はその価値を軽んじられやすく、その代わりに、全体の空気や相手の意向を忖度して行動する技術の洗練が求められるようになっていきます。

そしてやがて、組織内部の感情的な一体感を、理論的な考察よりも重視する人間でなければ、組織における重要な地位を与えられないようになります。

このようにして、ほとんどの日本の重要な組織が外部の世界の変化に対応できなくなり、多くのものが失われたのが平成の日本社会だったのかもしれません。

 

戦後と原発事故後の日本社会

ここで戦後日本の民主主義の受容にまでさかのぼって、批判的な考察を簡単に行っておきます。

私は、全体主義的な社会から民主主義的な社会への移行のためには、深層心理における「他者との融合的な関わり方」が解消されて、一貫した個人としての責任を担える、独立した主体としての意識のあり方が確立されることが不可欠だったと考えます。

精神分析の用語を使うならば、社会のメンバーのために、自我機能を適切に機能させるための仕組みが確立されていることが、民主主義的な社会を作るための前提です。

しかし、戦後の日本では、そのような心理構造の奥深くに達すような改変が必要であることは多くの場合に理解されず、心理的な「他者との融合的な関わり方」を重視したままで、その融合的な場で「民主主義」や「基本的な人権」の題目が語られるという奇妙な事態が生じました。

語られる言葉は反権威のような内容でリベラル風の雰囲気であるものの、その内部運営のあり方は全く民主的ではなく、権威主義的だったりカリスマ的な指導者への心理的な融合を求めたりするような組織や集団が、戦後の日本には頻繁に出現しました。ただしこれは日本において深刻であるものの、いわゆる先進的な西欧の諸国でも認められる状況のようです。

この事態への不満が、近年の世界的な潮流における保守派の勢力拡大の一因だと感じています。

さらに心理の深層に潜ります。

「他者との融合的な関わり方」を求める傾向が強いことは、乳幼児的な「母子一体感」の境地が成人になっても色濃く残っていることを意味しています。

この境地から心理的な分離が行われない要因について、私の考察が依拠しているクライン派の精神分析理論では、分離を試みることで二種類の乳幼児的な不安が刺激されることに耐えられなくなってしまうことを指摘しています。少し専門用語を使うことをお許しください。

一つは、妄想分裂ポジションにおける迫害的な不安です。大雑把には、加害や復讐といったテーマを巡る被害感情や強い敵意や攻撃性が刺激されるような心理状態です。

自力で生存する力を持たず、生存を全面的に母親的な存在に依存する乳幼児は、「母の不在」という事態に強烈な欲求不満を覚えます。そこで生じる強い母への怒りや攻撃性は、乳幼児の心を圧倒するほどに強まります。

今度は、強まり過ぎた自分の敵対的な感情も、不安の原因となります。無意識的な空想では、「自分が誰かを攻撃する」のは容易に「自分が誰かに攻撃される」に反転します。

これは、自分が抱えていた強い攻撃性を他者に投影できることを意味するので(正確には投影同一視という心理機制が働きます)、少し気持ちは楽になる部分もあるのですが、今度は敵意を帯びた他者に囲まれて迫害されるのではないかという不安にさいなまれるようになります。

原発事故後の日本社会はある側面で、無意識的なこの妄想分裂ポジションにおける迫害的な不安が高まっていたとも言えます。そこでは、日本社会についての理想化とこきおろしの意識の分裂も生じました。

集団がこのような心理状態の中にある時に、そこに属するメンバーの緊張感と警戒心は高まり、交感神経優位の「戦うか逃げ出すか」といった行動の選択が優勢になります。

放射線についての議論が感情的なものになっている時には、この妄想分裂ポジションへの心理的退行が起きていることが多いようです。

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