合コン三昧だった日々が…
実は少し前から、何となく胸にシコリがあることを感じていたものの、毎年の健康診断がオールAを叩き出していた私が、がんになるなんて“ありえない”と思っていた。
だが、“事実は小説より奇なり”、思ってもみない事態が人生では起きる。去年はなかったそれが、体の中でステージ4にまで進行し、突然発見されたのだ!
つい前日まで、合コンで浴びるように酒を飲んで盛り上がっていたのに……まったく想定外の宣告を受け、ショックを過ぎて頭が真っ白になり涙があふれた。
が、人間、追い詰められても案外冷静になれるもので、酒にタバコに寝不足に……とやりたい放題の毎日だったので、思い当たる節があり過ぎて、「神様は見ていたんだ、いい加減に生きてきたバチが当たったんだ」と、真摯に宣告を受け止める自分もいた。
それにしても、“ステージ4の乳がん”という現実は重過ぎた。調べると、5年後の生存率は20%というデータもあり、生まれて初めて“自分の人生に終わりがあること”を意識せざるを得なかった。
このまま死んでしまったら、“私の人生って一体何だったんだろう”。何ひとつ成し遂げていない、これまでの自分の人生に強い憤りを覚えた。
「とにかく治す!」「何をしてでも、どうやってでも治してやる!」
こんないい加減な人生のまま終わってしまうなんて、とんでもない!今からでもやる気を出して、乳がんも治して、夢も叶えて、自分の人生を価値あるものにしなくては!
絶望の淵にありながらも、“絶対に大逆転してやる”と強く思っていたが、完治をさせることも、夢を叶えることも、人生を変えるこも、簡単なことではなかった。
進行性のステージ4乳がんだった私に、抗がん剤治療以外の選択はなく、最短で抗がん剤投与が始まった。
彼にも振られて……
乳がん発覚後、金銭的にも精神的にも協力してくれた親には感謝しかない。そして、重い現実に動じず、理解をしようと頑張ってくれた彼氏の存在は大きかった。

しかし、“引かれたくない”“心配されたくない”という思いから、カミングアウトは親・彼氏・親友・職場の上司にしかできず、普段つるんでいる遊び仲間には黙っていた。その苦しさから、心を許していた彼氏には不安や不満をぶちまけてしまっていた。
「治るかどうか分からない」という漠然とした不安と、「絶対治す」という前向きな気持ちに挟まれ、気持ちのアップダウンがあった当時の私。
懸命に励ましてくれる彼に「何が分かるの!?」と怒鳴ったり、ひとつひとつに対応するのが億劫で、文句を言ったり無視したり、元々子どもっぽい性格だが、さらに駄々っ子になっていた。
働き盛りで忙しかった彼だが、抗がん剤の副作用で体調が悪くなったり、髪の毛が抜け落ちて不安定になる私と向き合い、できるだけ時間を作り話し相手となってくれたり、休日は遠出して気分転換させてくれたりと、精一杯しえてくれた。
当時の私は完全にそれに甘えてしまい、ワガママはどんどんエスカレートし、次第に彼をも苦しめることになった。連絡が多いと不満を言っていたのに、自分が連絡した時に連絡がつかないとブチ切れたり、ハワイ土産が気に入らずに投げつけたり、デートで行くレストランもヘルシーな店じゃないと延々と説教(私は病気なのに、食べるものにどうして気を遣ってくれないのか!?などなど)をしたり……。
そして、乳がん宣告から数ヶ月後、「もう僕では支えきれない」と言い残して、アッサリと彼は去ってしまった。
“失ってからはじめて気づく”とはよく言うが、いなくなってしまってから、彼の存在の大きさに気づき、自身の悪態を反省し後悔もした。が、終わったことを嘆いていても何も生まれない。
人生も乳がん治療もまだまだ続くんだ……!