2019.05.19

野間清治が新聞社社長になりたかった「真の理由」と「挫折」

大衆は神である(51)
魚住 昭 プロフィール

「美しく明るく強き新聞をつくりたい」

待ち受ける報知の在京社員約1000人(当時の講談社の社員数は約250人、少年約200人)の間には、清治が人員整理の大ナタを振るうのではないかとの観測もあった。

社長就任の挨拶で清治は、社員のクビは切らないので安心してほしい、自分はどこまでも温情主義でやってみたいと語り、社内の動揺を抑えた。

そうして清治は「美しく明るく強き新聞をつくりたい」と語り、「例えば親孝行の記事を書き、それを読む人が本当に親孝行をなし、不真面目な人がそれによって幾分でも真面目になるとしたら、それはどんなに喜びでありましょう。報知を見ていると一家が明るくなる。子どもも喜び、家内も喜び、自分にもよろしいというようにしたいものだ」と述べた。

これは『キング』以来の講談社「道徳」路線の継承である。と同時に、清治が以前から興味を持っていた米国ボストンのクリスチャン・サイエンス・モニター(センセーショナリズム中心の新聞界に新風を吹き込んだキリスト教系紙)をモデルにした新聞のあり方でもあったらしい。

就任挨拶で清治はこんな趣旨のことも語っている註①

「皆さんにお願いがある。どこに行っても皆さんは、今度の社長はどうだい、と聞かれるだろう。そのとき心の中では何の働きもない無能な社長と思っていても、口を極めて褒めてもらいたい。なかなか大したものだ、今度は報知も良くなるだろうと言っていただきたい。私も会う人に、新聞社は厄介でしょう、いじめられているでしょうと、必ず聞かれるにちがいない。しかし、私は、さすがに新聞記者は世の中の苦労を知っているだけに、いい人たちばかりだ、気持のいい、明るい社だ、と答えて、絶対に悪口をいわない。これが報知新聞の栄える根本の道であります」

快挙に感激

それから2ヵ月後の8月20日の払暁(ふつぎょう)、ベルリンを発った飛行士・吉原清治操縦のユンケルス(ユンカース)軽飛行機はシベリヤを横断、11日目の30日午後、代々木練兵場に着陸した。飛行距離1万1000キロ、飛行時間79時間58分、報知主催の日独親善欧亜連絡飛行である。吉原は単身で、軽飛行機による世界新記録を樹立した。

計画自体は大隈信常社長時代に立てられたものだが、清治の社長就任早々に成し遂げられた快挙である。吉原と清治はオープンカーに同乗して、練兵場を一周した。詰めかけた約20万人の観衆から歓呼と万歳の声がわいた。

報知本社に帰った清治は、編集局の真ん中の大テーブルの上に突っ立ち、「このような難事業を完遂するには不屈の勇気と不撓(ふとう)の努力が必要だ。全社員渾然一体となり、この精神をもって邁進すれば、いかなる難関も突破できるであろう」と演説し、社員たちの盛んな拍手を浴びた。

このあと数日間の清治の感激ぶりは相当なものだったらしい。「えらいことになった」と寝食を忘れるほど興奮したと伝えられている。彼自身、自分は神の祝福を受けた幸運児だ、何をやってもうまくいくと思いこんだとしても不思議ではないだろう。

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