2019.05.25
# 週刊現代 # 本

『負け犬の遠吠え』著者が、親と兄の死を目の当たりにして思ったこと

あれから15年を経て
酒井 順子

ひとりの人と添い遂げるとは限らない

―実際、「家族」それ自体の概念も、かつてのような「イエ」制度主体の考え方から切り離されつつありますよね。

伝統的な家族像を守り続けることが大切、という考えを持つ人の方が、割合としては多いかと思いますが、これからはもっと多様な家族の在り方が増えていくように思います。

勝間和代さんが同性のパートナーと暮らしていることを明かされたとき、何人かの知人女性が「それもいいな」と言っていたのを聞いて、目から鱗が落ちる思いがしました。同性愛関係になくとも、単に気の合う同性同士で住むのもありなのではないか、と。

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夫婦は、時間が経ったらすぐ性愛の関係はなくなっていくわけですし、人生が長くなれば、最初に結婚したパートナーとそのまま一緒に老いていくとは限らなくなる。

第二、第三のパートナーは、性愛を介在させなくても、性格や生活が一致する人を選べばよいのではないでしょうか。

 

―そうした枠組みがどんどん流動化する過程で、従来の家族像とはだいぶ趣が異なる親子関係も目立ってきたように感じます。

例えば本書に登場する、電話口で父親に対して「パパ、愛してるよ!」と言った青年のエピソード。自分のような昭和世代にとっては衝撃的です。

親子でハグしたり、お姫様だっこしたり、それこそ「欧米か」という感じですよね(笑)。マザコンと言われることを恐れていた我々世代では、そのような愛情表現は考えられなかった。

私の父は昭和一桁生まれの気難しい性格で、それがコミュニケーションを厭う要因にもなっていました。多くの人にとって、親子関係は上下関係だったわけです。

ところが今は、親子関係がフラットになり、仲良し化が進んでいます。反抗期が無いという子供も珍しくないし、かつてのように息子が成長につれ「おやじ」「おふくろ」と呼び始めることもない。大人になっても、躊躇なく「パパ」「ママ」と呼び続ける関係性は、昭和世代からすると新鮮です。

―一方、夫婦が互いに「パパ」「ママ」と呼び合うことがセックスレスにつながっているのではないかという指摘もされています。

好き合って個人同士が結婚したのに、子供が産まれると急に、役職名で呼び合う。私に子供がいないぶん、この現象はすごく不思議です。

「パパ」「ママ」と呼び合う夫婦って、子供を通して相手を認識しているということですよね。つまり、お互いがオスとメスであるという事実から目を逸らしているわけです。この呼び名問題をどうにかできたら、少子化問題も解消できるんじゃないかと本気で考えています。

―「家事」を「一人一人が、人生を最後までサバイブしていくために必要な能力」と定義するくだりにも膝を打ちました。

今のシニア男性は、「技術」と「家庭科」の授業で男女が分かれていた時代に教育を受けていますし、「家事は女がするもの」と思って生きることができた世代。ですから家事能力を持っている人は少ないですよね。ところが妻に先立たれた途端、生活レベルが急落して亡くなる方も多い。週刊現代でも「死ぬまでセックス」より「死ぬまで家事」特集をやったほうが有用ではないかとも思います(笑)。(取材・文/倉本さおり)

『週刊現代』2019年6月1日号より

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