今回の無差別殺傷事件が世間の人びとに大きな衝撃を与え、普段はこうした話題に口を開かない人びとですら巻きこんでいることも、平和で安全な社会との鮮烈なコントラストが影響している。
こうした事件のたびに「社会は不安定化している」とか「社会が荒廃している」といった論調が強まるが、しかしそれは社会全体の実際を反映していない、いわば「過剰反応」であるといえる。
「無敵の人」という物語
5月28日の朝、事件の第一報が寄せられた直後、すでにインターネットでは「無敵の人」というワードが大きなトレンドとなっていた。
「無敵の人」とは、匿名掲示板「2ch(現:5ch)」の創設者である西村博之氏が考案したいわゆるネットスラングであり、「(社会的にも経済的にも)失うものが何もない人」を指す。
そうした人びとは、凶悪犯罪を起こし無辜の一般人を巻き添えにすることになんのリスクも感じない。自らが罪に問われることをまるで恐れないし、場合によっては極刑を望んで、あえて凶行に及んでいることすらある。社会的な制裁によって一切のダメージを負わないし、恐れもしないこと――それが「無敵」と称されるゆえんであるとされる。
今回の事件では犯人とされる男が死亡してしまったことから、動機が本人の口から明かされる機会は永久に失われてしまった。しかしネットを観測する限りでは、ひじょうに多くの人が「無敵の人による凶行」という文脈によってこの事件を捉えているようだった。

たしかにそう判断させるに足る材料は初報の段階でもそれなりにあった。
特定の個人に対する怨恨であるのなら不特定多数を襲撃する必要はないだろうし、通常は直接的なかかわりがないであろう小学生の集団をターゲットにしていること、また当初は男の年齢が「40〜50歳代」と伝えられ、いわゆるロスジェネ世代にあたる可能性があったこともまた、「無敵の人が無差別殺傷を起こした」という推測の説得力を高める要因となったようだ。