文京区・茗荷谷に、日本人を快く迎える「シーク教寺院」があった
日本の異国を旅する・前編ビルの中の異国
駅から春日通りを5分ほど歩いただろうか。とあるビルの入り口に、人が集まっている。
ターバンをした男性、色鮮やかなドレスを着た女の子、サリー姿の女性。見つめると、笑顔が返ってくる。
誘われるがままに、ビルの中に入った。ほかにも何人か、彫りの深いインド系の人々がいて、靴と靴下を脱いで地下へと降りていく。そしてシャワールームで手足を洗う。
どうも清めているようだ。神社にお参りする前に、手水舎に立ち寄る感じだと思った。
同じように手足を洗って、まわりに続いてドアを開け、室内に入る。すると突然、僕は賛歌に包まれたのだ。
祈りの歌を詠唱する女性、太鼓や鈴の伴奏。部屋を埋めているのはターバン姿の恰幅のいいおじさんたちだ。サリーや、パンジャビードレスという民族衣装をまとった女性も多い。
その足元を子供たちがかけまわり、実に和やかなだ。互いに近況を報告しあっているのか、誰もが笑顔で握手を交わし、抱擁する。茗荷谷の片隅が、インドの街角になったようだった。
日本にふたつしかない、シーク教寺院
ここは「ダルバール・サーヒブ」という。日本にふたつしかない、シーク教の寺院である(もうひとつは神戸にある)。日本で暮らすシーク教徒の、心の拠り所であり、社交場でもある。そして日本人も異教徒も、歓迎してくれる。
インドは多民族・多宗教国家だ。ヒンドゥー教が多数派だが、イスラム教やジャイナ教、キリスト教……さまざまな宗教が混在する。そのひとつ、シーク教は北西部のアムリトサルを聖地とし、強制ではないがターバンを巻く慣習で知られる。
人口13億人のインドにあってシーク教徒はわずか3000万人だが、カースト制度を否定し、教育熱心かつ商売に長けているといわれる。だから職業選択の自由、幅が広く、海外に打って出る人が多い。インド人=ターバンというイメージはここから来ている。
人口比からするとわずかばかりのシーク教徒が、インド人の代表であるかのように存在感を放っている。日本にもおよそ2000人が暮らす。
国も宗教も関係なく、無料で食事を提供
「起業して会社を経営している人が多いでしょうか。まず留学生として日本語を覚え、それからビジネスの世界に飛び込んで成功し、日本とインドを行き来している人も大勢います」
そう教えてくれたのはシン・グルセイワクさんだ。都内にあるIT系の大学に通う大学生だが、ダルバール・サーヒブをボランティアで運営するスタッフのひとりでもある。日本語が流暢なのは当たり前で、彼は生まれも育ちも、この日本だ。

「1992年に父が来日し、それから98年に母も日本にやってきたんです」
バブル期前後にインド系の人々がたくさん日本で働き、暮らすようになる。貿易やレストラン経営などに携わり、日本社会でも頭角を現していくシーク教の人々だったが、やがて自分たちのコミュニティを求めるようになる。休日にみんなで集まることのできる場所がほしかったのだ。