都内で比較的アクセスの良い茗荷谷に、インド人がオーナーのビルを見つけた。まずそこを借り、仲間うちで喜捨を募って買い取り、ダルバール・サーヒブをつくった。月に2度ほどの集まりにはシーク教徒が集まり、祈り、そしてともに食事をいただく。
「シーク教の寺院には必ず、大きな台所をつくることが義務づけられています。そして訪れる人すべてに、カーストも国も宗教も関係なく、無料で食事を提供すること。これをランガルといいます。それがシーク教の教えのひとつなんです」(グルセイワクさん)
温かい家庭の味
やがて僕に配膳されてきた「ランガル」の食卓は、じゃがいものカレーと、ダル(豆の煮込み)、チャパティという素朴なパン、それにライスとヨーグルト。
質素だが、優しい味つけで、びっくりするほど美味しいのだ。街のインド料理店よりも、家庭の味という感じがした。
夢中になって食べていると、まわりから次々に声がかかる。「シークやインドに興味があるのか」「インド料理は好きか」「ほれ、もっとダルを食べろ。おかわりだってあるんだ」……寺院というよりも、なんだか親戚のおじさんの家に来たような温かさがあった。
一緒にランガルを楽しみ、ひとときをともにしたシークの人々は、また東京の街に散っていく。こうして皆で集まる場所があるから、異国で生きていけるのだ。

先日刊行した『日本の異国』(晶文社)には、日本各地に点在するこうした外国人コミュニティを訪ね歩いた様子を描いた。
西葛西に暮らすインド人IT技術者たち。ミャンマー人が集住する「リトル・ヤンゴン」高田馬場。八王子や千葉県・成田のタイ寺院では、在日タイ人が肩を寄せ合う。
足立区に行けば、日本の老人を労わる、ほとんど介護施設のようなフィリピンパブもあった。
誰もがさまざまな理由で日本にやってきて、根を下ろし、僕たちの隣の生活者として暮らしている。いまはもう、そんな時代だ。
在日外国人の数は、263万人を超えた(2018年6月の数値。法務省による)。人口減少社会の日本ではいまや、総人口の2%ほどが、外国人となったのだ。
そんな彼らが各地でコミュニティをつくっている、と聞くと、日本人は警戒してしまうかもしれない。
海外生活を支えるコミュニティ
しかしそれは、日本人も同じなのだ。グローバル化が進んだいま、海外に住む日本人はおよそ135万人(2017年10月の数値。外務省による)。これは日本人の総人口のうち1%以上の数字だ。
そんな同胞も、やはり海外ではコミュニティをつくっている。
例えば7万2000人の日本人が住むタイでは、首都バンコクや、大型工業団地に近いシーラチャなどに日本人がたくさん住んでいる。
日本の食材がずらりと並ぶスーパーマーケットがあり、日本語の書籍や古本を売る店、日本語対応のできる病院・塾・マンション・旅行会社など、日本人の暮らしを支えている。そんな「母港」があるから、タイ社会と向き合い、そこで働ける。
現地にある自らの国のコミュニティに頼りつつ、地元の社会とも溶け合う。両方に足をつけて暮らす。それは、日本に急増している外国人も同様だ。