料理研究家の江崎美惠子さんは、実は37歳のときに高校生に混じって調理専門学校に通った「遅咲きの料理家」。夫は江崎グリコ株式会社で社長を務める江崎勝久氏だ。

美惠子さんは最新刊『人生楽しく仕切り直し』という一冊を刊行した。妻・嫁・母・社長夫人・そして料理研究家という多くの顔に全力で挑んできたうえで身につけた家事や料理、自らを美しく保つためのコツなど具体的なアイデアが盛りだくさんだ。

実は、この本の「はじめに」には、専業主婦としての暮らしがスタートしながら、子育てにひと区切りがついたときの「買い物三昧の生活」に虚しさを感じたことを綴っている。大手企業の創業一族に嫁ぎ、優雅な生活を送れるはずの美惠子さんが何を感じ、なぜ料理家の道を歩んだのか。改めて聞いてみると、「豊かな生き方とは何か」「家族とは何か」「夫婦とは何か」のヒントが見えてくる――。

インタビュー・文/上田恵子

 

「大学をやめてはいけない」
義祖父・江崎利一の言葉

私が、主人の江崎勝久と出会ったのは、大学3年生の5月のことでした。7歳年上の彼とはお見合いの席で初めて顔を合わせ、縁談はトントン拍子に進行。大学4年生になる直前の春休みに、結婚式を挙げました。

独身時代、両親から「結婚が決まったら大学はやめなさい」と言われていたため、私自身も卒業を待たずに家庭に入るつもりでいました。

ところが、義祖父である江崎グリコ創業者の江崎利一は中途退学に大反対。「せっかく入った大学をやめるなどもったいない。自分のためにも将来生まれてくる子どものためにも、しっかり勉強して卒業しなさい」と叱咤激励してくれました。

当時は今と違い、大学を卒業しても女性には就職先がほとんどない時代です。なかには仕事に就く女性もいましたが、通訳やピアニストなど、特別な技能を持った人のみが職を得られるという時代でした。

キッチンは自分の仕事場

結婚して1年が過ぎ、大学卒業後に長男が生まれ、3年あけて長女が、その4年後に次女が生まれました。義祖父からは必ず跡継ぎをもうけるよう言われていたので、第一子で男の子が誕生した時は心からホッとしたことを覚えています。

自宅には、お掃除とお洗濯を手伝ってくれる人がいました。もちろん自分の身の回りのことは自分でしていましたが、子どもが生まれてからは洗濯物なども増えたため、家事の一部をまかせていたのです。

けれども結婚して50年、お産で入院した時以外、お料理だけは人に任せたことはありません。キッチンは私の唯一の牙城であり、キッチンを手放したら私の存在価値がなくなると考えていたからです。パーティの際などにケータリングをお願いすることはありましたが、日々の食事はすべて手ずから用意していました。

少人数のゲストをお招きする部屋のキッチン。「床にモノを置かず、埃をはらいやすくする」などシンプルに清潔に保つ技も『人生楽しく仕切り直し』では紹介されている 写真/『人生楽しく仕切り直し』より