2019.06.19
# 戦争

たった2日で3000人以上が戦死したマリアナ沖海戦の悲劇

からくも生き残った搭乗員の怒りの証言
神立 尚紀 プロフィール

屈辱的なスラングへの違和感

取材を通じて知り合った遺族のなかに、富樫ヨコさんがいる。富樫さんの夫は、マリアナ沖海戦で戦死した艦上爆撃機の搭乗員・高橋寅八少尉。昭和8(1933)年に予科練に入隊した歴戦の艦爆乗りである。高橋少尉は、一航戦の第一次攻撃隊の彗星艦爆小隊長として出撃、戦死した。ともに出撃した彗星のほとんどが未帰還となり、高橋機の最期の状況はわからない。

 

富樫さんは、マリアナ沖海戦のちょうどその日、家の玄関の前で、白い第二種軍装姿の夫の姿を確かに見たと言う。

「信じてもらえないでしょうけど、突然だったから『あ、帰って来たの?』って声をかけたら姿が見えなくなって……」

21歳で夫を亡くし、以来70余年、ずっと独りで生きてきた。結婚生活はわずかな期間だったが、夫への思いは褪せることなく、夫を語るときの表情は、まるで少女のようにみずみずしい。

富樫ヨコさん(右端)。夫・高橋寅八少尉をマリアナ沖海戦で亡くした。夫の親友だった元零戦搭乗員・原田要さん夫妻と、ハワイ・真珠湾で(撮影:神立尚紀)

「鹿屋基地に面会に行ったとき、帰りに隊門のところでずっと手を振ってくれた姿が瞼に残っています。戦後、再婚を勧めてくれる人もいましたが、私のなかでは、主人はあのときのまま生きてるんですもの。マリアナ沖で戦死したと聞かされて、海に墜ちてお魚に食べられちゃったのかな、と思うこともありますけど……」

――「マリアナの七面鳥撃ち」という言葉がある。マリアナ沖海戦で、あまりに多くの日本機が撃墜されたことを揶揄して米軍が名づけた、日本人にとって屈辱的なスラングである。実際に使われた言葉であることは仕方がないが、いま、その言葉を、日本のメディアがマリアナ沖海戦の代名詞のごとく使うことには強い違和感を覚える。

生き残った搭乗員にじかに話を聞き、遺族と接してみれば、そんな言葉は、たとえ比喩的表現だとしても使う気にならない。

「戦争の悲劇をけっして忘れてはならない」「二度と繰り返してはいけない」と、誰もが言う。ならば、忘れてはならない、繰り返してはいけない「悲劇」の中身がどんなものなのか、よく知るための努力は必要だろう。撃墜されたのは鳥などではなく、それぞれが感情をもち、家族もある生身の人間である。当事者や遺族の心情を少しでも理解しようとする優しさがあれば、「七面鳥撃ち」などという無神経な言葉を、日本人がわざわざ使うこともなくなってゆくのではないか。

戦後、日本は奇跡的な復興を遂げ、そんな戦後の復興すら、いまや歴史上の出来事になりつつある。だが、街や経済は復興しても、傷つき、あるいは家族を喪った一人一人の心の傷が癒えることはなく、いまだ戦争の記憶を胸に生きている人は、高齢となっても少なからずいる。蛇足を承知であえて付け加えるなら、政治家が酔った勢いで是非を論じられるほど、「戦争」は軽いものではないのだ。

文中に登場する進藤三郎さん他5人の元零戦搭乗員たちの証言を収録している。

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