2019.07.02
# 裏社会

彼はソ連のスパイだったのか?「昭和の怪物」瀬島龍三の正体

「大本営作戦参謀」の虚実
週刊現代 プロフィール

伊藤忠に「軍隊式経営」をもたらした

シベリア抑留から帰国した2年後の'58(昭和33)年、瀬島は伊藤忠商事に入社した。瀬島の部下だった伊藤忠OBが述懐する。

「当時の商社マンと言えば、コセコセ、セカセカしたイメージでしたが、瀬島さんは背筋をピンと伸ばし、『ザ・参謀』という印象でした。

最初の報告の時にどっさり資料を持って行ったら、『報告は紙1枚、しかも3点に集約し、3行で済ませろ。そうでないと鉄砲が飛んでくるぞ!』と怒られました」

「着眼大局、着手小局」「悲観的に準備し、楽観的に対処せよ」……瀬島語録はその後、伊藤忠で「社員心得」としてまとめられた。

瀬島は社内でメキメキ頭角を現し、2年後には航空機部門の機械第三部長に昇進。航空機ビジネスを拡大させ、業務本部長、常務取締役と昇進し、'68(昭和43)年に専務取締役に就く。

「'71(昭和46)年のキッシンジャー米大統領特別補佐官の極秘訪中を受けて、瀬島さんは『これからは中国の時代だ』と声高に唱えた。そして社長以下を焚き付けて、中国ビジネスの準備を始めたんです」(前出の伊藤忠OB)

 

翌年3月、瀬島は十数人の部下を引き連れて訪中、周恩来首相ら要人とパイプを作り、伊藤忠は日本の友好商社第1号となった。同社OBが続ける。

「その半年後に、田中角栄首相が訪中し、日中国交正常化を果たしたことから、瀬島さんは『伊藤忠の角栄』と呼ばれたものです。いまでも『中国ビジネスなら伊藤忠』と言われるのは、瀬島さんが先鞭をつけてくれたおかげです」

軍隊式経営と、卓抜した予見能力で、中国以外にもアジアや中近東各国とのビジネスを開拓した瀬島だったが、「なぜかソ連だけは避けていた」(前出OB)。

山崎豊子の小説『不毛地帯』のモデルにもなった瀬島は'78(昭和53)年、ついに同社会長に上り詰めた。

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