〈取材・文:宇井洋〉
あるオーディションの風景
1988年10月26日、都内のあるテレビ局では、ジャニーズジュニアたちを選ぶオーディションが始まろうとしていた。試験会場となったリハーサル室では1時間ほど前から、小柄な中年男性が1人で会場の準備を黙々と進めていた。
しばらくすると、試験にはまだ時間があったが、オーディションを受ける少年たちがばらばらと入ってきた。緊張して大人しく座っている子、周りを威嚇するようにサングラスをかけた子、ガムを噛みながらだらしなく座っている子など、いずれの少年も落ち着かない様子だった。椅子を並べていた男は、自分で買ってきたジュースを配りながら、そんな彼らの姿を何気なく観察していた。
ほどなくオーディションの時間がやってきた。しかし、一向に試験官が入ってくる気配はなかった。
「それでは、オーディションを始めます。私がジャニー喜多川です」
先ほどまで会場の準備をしていた男は、唐突にそう口を開いた。
虚を衝かれた少年たちはサングラスを外したり、髪型を整えたり、姿勢を正したりしながら、一様に緊張した眼差しで男を見つめた。しかし、態度がまったく変わらない少年が一人だけいた。彼は少しふてぶてしく見えるほどリラックスしていた。
ジャニーはそれを見逃さなかった。少年の名前は松岡昌宏。のちにTOKIOのメンバーとして少女たちの熱い視線を集める彼も、まだ小学校に通う11歳の少年であった。

あまりに独特の選抜方法
恵比寿にあるジャニーズ事務所のオフィシャルファンクラブ、ジャニーズファミリークラブには、連日、大きな麻の郵便袋がいくつも届けられる。その多くは少女たちがタレントへの熱い思いをしたためたファンレターであるが、「履歴書在中」と表書きされた封筒も300通近く届く。それらすべては、タレントになりたい少年たちからの手紙である。
‘60年代のジャニーズに始まり、‘90年代のSMAP、TOKIOまで、長年にわたりアイドルを輩出してきたジャニーズ事務所。今では、男性アイドルのプロダクションとしては独占企業といえるまでに成長した。
その成功要因のひとつが、ジャニーズジュニアの存在にあることは有名だ。ジャニーズジュニアとは、タレントでデビューするための予備軍としてレッスンを受けている少年たちのことである。連日、山のように送られてくる履歴書は、ジャニーズジュニアになりたい少年たちの入学願書のようなものだ。