人と違ってはいけないという恐怖
特に、同年齢集団はどうしても同調圧力が働きやすく、異質な存在を排除しようとする力学を生み出してしまうという深刻な問題を抱えています。
それがいじめの温床になるのは言うまでもありませんが、今、多くの子どもたちは、人と違うことを恐れ、空気を読み合うことをいくらか強いられる学級生活を送っているのです。
“人と違う”がゆえに学校になじめず、ついには不登校になってしまった子どもたちと、わたしはたくさん出会ってきました。でも彼らの多くは、学校を一歩出ると、実はとても生き生きとできるものです。
実はわたしのゼミにも、不登校の中学生や高校生などが何人も参加しています。彼女たちは、大学生に引けを取らないくらい、議論に対等に、そして生き生きと参加してくれています。

コミュニティが同質であればあるほど、わたしたちは息苦しくなるものです。でも、もし多様性が担保されていたならば、そしてその多様性を必要に応じて行ったり来たりできたなら、自分がより生き生きできる人間関係を見つけることも容易になるに違いないのです。
激しく分断された社会
近年では、異年齢で遊ぶ子どもたちもずいぶんと減ってしまいました。幼児としょっちゅう交流している中学生や高校生なども、きわめて稀と言っていいのではないでしょうか。
現代の社会では、子どもと日常的に触れ合う経験のない若者が、その後もほとんど子どもと関わることなく親になることだってあるのです。いや、むしろそれが一般的です。
幼児だけでなく、障害を持った人や高齢者などと日常的に交流している若者だって、それほど多くはないのではないかと思います。わたしたちはいつしか、激しく分断された社会を生きているのです。