「汚物入れ」と呼ばれて…
ところで、今回の騒動に関する報道で興味深かったのは、使用済み生理用品を入れる容器の名称が、ほぼ「サニタリーボックス」で統一されていたことである。「サニタリーボックス」は、かつて「汚物入れ」と呼ばれていた。
日本のトイレが汲み取り式だった時代は、生理用品(布や紙、脱脂綿など)も排泄物同様、便器の中に捨てられていた。
しかし、1950年代に水洗トイレが普及しはじめると、生理用品は詰まりの原因となるため捨てられなくなり、「汚物入れ」が必要とされたのである。当時はまだナプキンが発明されておらず、生理用品の主流は脱脂綿だった。
ナプキンが発売されたのは1961年のことだが、そもそもナプキン開発のきっかけは「水洗トイレに流せる生理用品を作ろう」という発想だった。
実際に、発売当初のナプキンはトイレに流せたのだが、その後、流せないナプキンが発売されたため、その後も「汚物入れ」が必要とされた。
1970年代に入ると、当時まだ日本社会に色濃く残っていた月経不浄視を批判する動きが見られ、その中で月経を「不浄」「不潔」と見なすことはやめようという声が上がるようになった。
当時は、初経が始まった娘に対し「あなたは穢れているのだから」と塩をふったり、「それ(「月経」や「生理」と口にすることもはばかられた)の間は、神社やお寺に行ってはいけない」「汚れ物を洗ったら、お天道様の当たらないところに干すように」と諭したりする母親が珍しくなかったのだ。
小学校における初経教育においても、月経は「隠すべきもの」と教えられたため、女の子たちは月経は隠さなくてはならない「恥ずかしいもの」だと認識せざるをえなかった。
こうした習慣に対する反発から、「月経は『不浄』『不潔』ではない。したがって使用済み生理用品を入れる容器を『汚物入れ』と呼ぶのはやめよう」という意見が出てきたのである。そして「汚物入れ」に替わる名称の一つとして登場したのが「サニタリーボックス」だった。