24歳のときに母親が苦しんだリウマチを発症した編集者の小西恵美子さん。母親をみてきて、完治することを諦めていた小西さんは、痛み止めをはじめ薬漬けになりながら、仕事に情熱を傾けていた。しかし、目の前で誤魔化すこともできないほど、症状はひどくなっていった。
実は発症してから30年以上経った今、小西さんは一番体調がよく元気に過ごしている。そこに至るには長い時間と経験が必要だった。小西さんがどのようにリウマチと暮らし、そして自分の元気を取り戻していったのか。それを辿るために、連載で闘病の日々を綴っている。
今回は、発症してから10年ほどが経ったとき、症状がひどくなり、仕事もままならなくなった時の職場での対応について、現実をお伝えする。
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日常生活が不便に
指の変形が進み、食事の時に箸を持ちにくくなっていた。薬を飲んでも関節を動かせば痛い。患部に熱を持って疼く時もある。1日1日の変化は目に見えないが、変形は進んで指は曲がっていった。とうとう箸は持てなくなり、日本料理や中華料理もフォークとナイフを使う。鯛茶漬けを食べに行った時、「手が悪いのでスプーンをいただけますか」と言うと、「どうしたの? 怪我?」と毎日会っている同僚に聞かれた。
ワンピースなど後ろにファスナーがある洋服は自分では着られなくなった。小さなボタンはとめられない。ストッキングは指であげるのがむずかしくなった。足を細く見せるために、足首やふくらはぎのところを締めてあるものは膝まで上げるのがやっとである。ストッキングは一番大きいサイズでゆるそうなものを買う。それでもはくのに時間がかかる。しだいにスカートではなく、パンツをはくようになった。パンツだとハイソックスでいいからだ。
財布に硬貨を入れる時、よく落としてしまう。膝が痛くて、硬貨をしゃがんで拾えない。腰を曲げて指で硬貨を足の側面まで押していき、靴を壁に硬貨を立てて取る。時間がかかる。店のレジでお金を落とすと、並んでいる人のイライラが伝わってきた。

足の指は変形して床につかない。指が浮いた状態で歩くので、お運び人形のようにすり足になる。当然、靴をはくだけで痛い。靴も制限される。硬い靴ははけない。外反母趾のように変形しているため、幅広の靴で変形した足の形に伸びるやらかい靴しかはけない。足に合う靴に出会うと、何足も同時に買うようになった。冬はムートンブーツを手放せない。
電車で通勤していたが、駅の構内や階段を歩くのがつらくなっていた。打合わせや取材には十分な時間の余裕をもって向かう。資料や新刊本の入った袋を腕にかけて持つと、重さで肘や肩の関節の痛みが増す。放り出したい気持ちになる。荷物が多い時は自分の車で行き、近くの駐車場に止めていた。