2019.07.13
# 民族未来主義 # 近代 # ユーゴスラビア

エスノフューチャリズムの「反動的」で「解放的」な未来?

ターボフォークに見る新しい第三の道
河南 瑠莉 プロフィール

民族未来主義――「近代」の相対化?

西洋社会からみれば一見不可解な、権威主義的で懐古主義的なこのような「転向」は、旧ユーゴスラビアという地政学的な特異性があるものの、世界の各地に表出し、西洋型の民主主義社会に異を唱える「新反動主義」的な動きの一種なのだと一般的には説明される。

そしてターボフォークをはじめ、民族に固有だと想像される前近代的で土着的な要素の中に、ある民族の独自性を再発見してゆきながら、同時代的な政治・美学的表象の中に復元してゆこうという運動は、民族本質主義によって地政学的な地図を塗り替えようと試みる危うい「民族未来主義(エスノフューチャリズム)」の思想として受け止められてきた。

けれど近年、この一見したところ単に反動的で懐古的に映りかねない思想の中に、むしろより「先端」の思考実験を、あるいは新たな未来像を模索するための可能性を見出そうとする動きが生まれてきている。新反動主義と密接に結びつく民族未来主義が、左派的な立場からも再検討されようとしているのだ。

 

一体どういうことだろうか。

西洋近代とは、民主主義や平等といった理念を支える啓蒙思想の中から導かれてきた。圧倒的な技術力によって植民地化を進めた西洋諸国が、その過程において自らの価値体系――つまり啓蒙に導かれた近代的世界観――を推し広める優位性を有していたことは、技術の哲学者ジルベール・シモンドンやユク・ホイらにも指摘されている。つまりグローバル化とは、ある意味では技術を介した「啓蒙思想」の展延だと言えるのだ。

非西洋文化圏において「近代化」が意味するもの、それは人間にまつわる単一的な価値体系への「同期化」であり、啓蒙思想によって支えられた単線的な歴史軸への「収斂」に他ならない。

ここで民族未来主義的な思想は、グローバル化の過程においてあたかも「普遍的」価値体系として提示されてきた「ローマ・ゲルマン文化」の辺境性を露わにし、文化的固有性のもとに脱帝国的・脱中心的な思想運動を展開するための一つの契機として注目される。

このことは、ターボフォークに代表される極めてローカルで大衆的な表現が、ハイアートの文脈でも引用されるようになってきた事実とも無関係ではないだろう。

ではいったい何がターボフォークを「現代芸術」たらしめているというのだろうか。

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