2019.08.06

すずのスケッチを見つけたのが近隣住民だったら

『この世界の片隅に』から隣組を考える

世帯主および主婦が出席できる

話を物語の世界に戻そう。すずたちは、地区の隣保館(今日でいう公民館)で夜開かれる常会に参加する。劇中では、来たるべき空襲についての講習会があり、男性たちが前に陣取り、すずたち女性は後列で遠慮がちに聞いている。

だが、この場面は、じつは女性の社会参加、地位向上としてもとらえることができる。なぜなら、この戦争ではじめて、女性たちは男性と少なくとも建前上は対等に、地域の公的な行事に参加できるようになったからである。

1940年、東京で防空壕をつくる人びと

歴史学者の西川史子が指摘するように、政府は隣組集会に「世帯主及主婦」の出席を決めた。総力戦体制下では家庭を支える女性の役割を重視せざるをえなくなったからである。この措置は、「婦人の側からは夫と同等の参加は家庭内での主婦の地位向上であ」り、「地方組織への参加は婦人公民権の先どりとなるのではないか」とも期待された。

家事からの解放という側面

すずたちは、隣組、または婦人会が行う竹槍訓練にも参加する。敵兵に見立てたわら人形をかわるがわる竹槍で突くのである。主婦としての重労働に加え、こうした訓練にも参加させられるのだから、女性たちの負担は大きかった。

だが、女性の地域行事への参加は、一面では家事からの解放という意味合いもあった。戦前から戦後にかけての女性解放運動の指導者・市川房枝が「国防婦人会〔大日本婦人会の前身組織〕については、いうべきことが多々あるが、かつて自分の時間というものを持ったことのない農村の大衆婦人が、半日家から解放されて講演をきくことだけでも、これは婦人解放である」と述べたのは有名である。

1929年、女性参政権獲得をめざし演説をおこなう市川房枝(Photo by Getty Images)

念のため言っておくが、私はこの戦争ですべての女性が家事から解放されて喜んだとか、男女が完全対等になったとかいう極端な話をしていない。1941年に刊行された模範隣組の実践報告集には、男性のつくる「隣組常会」と女性の「主婦常会」を区別し、前者を重要事項を決定する「第一義的な」機関、後者を「補助機関」「総じて生活の研究をするのが任務」とした長野県大町の事例がある。これが「模範」例であることに留意されたい。

なぜ姑は講演会に行きたがったのか?

『この世界の片隅に』には、こうした時代の様子を表す場面は他にもある。漫画版のみではあるが、すずの姑のサンが、地元の国民学校(小学校)で催される国防講演会のお知らせをみて「行ってみたいねエ!」と言いだし、すずを驚かせる場面がある。すずは内心、どうしてわざわざ退屈なお説教を聞きに行くのか、と不思議に思ったのだろう。