サッカー少年が理学療法士になった理由

ウッチーこと内田直生氏は、3人きょうだいの長男として、1993年、新潟県長岡市に生まれた。両親は熱烈なJリーグファン。アルビレックス新潟のシーズンパスを家族全員分購入し、ホーム戦の開催日は必ず一家で新潟市まで応援に駆けつけていたという。

そんな環境がウッチーに大きな影響を与える。小学5年生から地元のクラブチームに入り、中学卒業までサッカー一筋の学校生活を送った。高校は公立校では県内有数の実績を誇るサッカーの名門・県立長岡向陵高校を目指すことにした。中学3年9月の模試がD判定だったのを機に一念発起すると、親に頼みこんで塾に通い、駆け込みの猛勉強で見事に合格を果たした。

中学生の頃の内田氏 写真提供/内田直生

高校でもサッカー部で活躍したが、同時に自分の将来について現実的に考えはじめる。

「中学くらいまではJリーガーを夢見たりしましたけど。僕たちの代は全国大会も行けなかったし、サッカーの道を突き進むのは難しいかなと」

サッカー選手は無理でも、スポーツに関連した仕事には就きたいと思ったウッチーは、大学受験を前に調べてみた。Jリーグのトレーナーになるにはアスレチックトレーナーの資格を取ればいいことがわかった。他にも、人の身体を扱う仕事はたくさんある。理学療法士、柔道整復師、鍼灸師、按摩マッサージ師……いろいろとある職種のなかで、看護師の母から「国家資格がある仕事がいい」と勧められたのが理学療法士だった。スポーツの世界に直結したアスレチックトレーナーは、民間の認定資格だったのだ。

ウッチーは、千葉市にある植草学園大学理学療法学科に入学する。

最初の一年はとにかく座学。解剖学や生理学の基礎知識を詰めこまれるだけの日々にやる気をなくしかけた。だが、後期になって転機が訪れる。

「運動療法学という授業があったんです。これも座学でしたが、疾患別の運動療法をケーススタディで学んでいきました。脳卒中の人にはこんなトレーニング、腰痛や肩こりの人にはこんなトレーニングという感じです。それが僕には楽しくてなりませんでした。試験の結果が発表されたときも上位5名の中に入っていて、すごくうれしかったですね」

ウッチーも、私と同様ほめられて伸びるタイプのようだ。