日本語のできる外国人の方がコストが低い
世界的に見れば日本人の人件費は高い。日本の多くのメーカーやコールセンターなどが、人件費の安い国へ次々と移転していることからもそれは間違いない。
だからそのコストの高い日本人の能力を有効に活用すべきなのだ。
人材の長所をとことん伸ばすべきであるのに対して、短所は放置すべきであることは、当サイト7月11日の記事「人工知能時代に生き残るのは、意外と『こんな上司』だった」で詳しく述べているが、部下の不得意な英語を「並み」にするために無駄なエネルギーを費やすような無能なマネージャーや経営者は「即刻解任すべき」なのである。
実は、「英語の社内公用語化」という馬鹿げたブームが、何の成果も上げないため落ち着いているにもかかわらず、本記事を執筆しようと思い立ったのは、某大手化粧品メーカーの幹部からある会合で「これから家に帰って社内試験のための英語の勉強をしないといけないんですよね」という話を聞いたからである。
経営幹部ともなれば、それなりの人件費がかかっているにもかかわらず、その貴重な時間を(部下の不得意な)英語の勉強に使わせるような経営者は「即刻解任」だと思ったのだ。
例えば、筆者が現役のトレーダーであったころは、英語のできる日本人がきわめて少なかったが、逆に英語と日本語のできる外国人トレーダーは潤沢に存在した。だから、概ねバイリンガルの日本人の給与の数分の一の米国人、オーストラリア人、香港人、シンガポール人などのトレーダーがたくさんいた。
今やシンガポールは一人あたりGDPでは、日本を追い抜いているので少々事情が違うかもしれないが、無理に日本人に英語を喋らせる必要は無いのである。
そもそも、インド、香港、シンガポール、フィリピンなどで、支配者層を中心に英語が流ちょうな人々が多いのは、それらの国々が英国・米国を中心とした欧米の国々に植民地として蹂躙された「負の遺産」である。
日本がGHQに占領された時に「英語公用語化」を押し付けられなかったのは幸いである。
フィリピン人の友人がいっていたことであるが、フィリピンの大学の授業はすべて英語で行われる。現地の言葉であるタガログ語などには、大学の講義で使うような言葉が存在さえしないからである。
「言葉」とは文化であるということを如実に示す話であるし、無駄に英語を勉強する時間があったら、よく言われるように日本が世界に誇る小説・源氏物語の勉強をすべきだと思う。