中学生の戦争
中学生の花子さんは太郎くんのことが好きだ。ところが、草子さんも太郎くんのことが好きらしく、事あるごとに太郎くんにちょっかいを出してくる。そんな草子さんの行動に、花子さんはいつもイライラしていた。
そんなある日、草子さんが太郎くんを、親しげに「タッくん」と呼んでいるのを聞いて、花子さんの怒りは爆発した。
「ちょっと、草子っ。太郎くんのこと、タッくんとか呼ばないでよっ」
「どうして花子に、そんなこと言われなきゃいけないの? べつに太郎くんは花子のものじゃないでしょ?」
「うるさいわね。とにかく、タッくんとか呼ぶのは許さないわっ」
花子は草子につかみかかった。草子も負けじと応戦する。しかし、周りの生徒が割って入り、2人は引き離された。
「あんたなんかに太郎くんは渡さないわ、勝負しましょうよ、草子。宣戦布告よっ」
「宣戦布告って何よ。私とあんたが戦争するってこと?」
「そ、そうよ、あんたとは戦争よっ!」
その日の夜。「戦争」という言葉をまにうけた草子は、本物のミサイルを発射し、花子の家に命中させた。花子の家は木っ端みじんとなった。命からがら逃げだしてきた花子は、髪の毛が焼け焦げ、顔は真っ黒だ。
「ちょ、ちょっと、草子。あ、あんた、なにしてんのよ?」
「だって、私と花子は戦争してるんでしょ? 戦争だったら、ミサイルを撃ち込むぐらいふつうじゃない」
「そ、そりゃ、たしかに、戦争とは言ったけど……」

残酷な進化論と平和な進化論
以前、私は会社に勤めていたが、そのときの社内報のエッセイに、こんなことが書かれていた。
「西洋では競争の原理をもとに、残酷な進化論が生まれた。しかし、日本では共存の原理をもとに、平和な進化論が生まれたのである」
これはもう何十年も前の話だけれど、今でもこういうイメージを持っている人は、結構いるのではないだろうか。
しかし、このようなイメージは、たった1つの言葉に対する誤解から生じていると思う。ちなみに、西洋の進化論というのは、ほぼダーウィンの進化論を指しており、日本の進化論というのは、ほぼ今西進化論を指しているようだ。
ダーウィンの著書である『種の起源』には、「生存闘争」という章がある。ダーウィンは、すべての生物は生きるために闘争をすると言う。う〜ん、何て残酷な考えなんだ。闘って勝ったものが生き残るということか。やっぱり、ダーウィンの進化論は残酷だな。実際には平和な進化だって存在するのに、ダーウィンは知らなかったのだろうか。たとえば、以下のような進化だ。これなら、闘争もしないし血も流れないので、平和な進化だろう。
草原と森林があった。草原にはキリンが棲んでいて、森林には首の短いシカが棲んでいた。ところが、ある日激しい嵐がきて、雷がたくさん落ちた。かわいそうに背の高いキリンは、みんな雷に打たれて絶滅してしまった。
そこで、キリンがいなくなった草原に、森林から首の短いシカが出てきた。草原に出てきた首の短いシカは、首長ジカに進化した。首長ジカ(もちろん私が勝手に作った架空の種だ)は、キリンほどではないけれど首がわりと長いシカだ。森林と違って草原では、背が高くても木の枝に引っかからないし、背が高いほうが肉食獣を見つけやすい。だから、首が長くなるように進化したのだ。
こうして、草原の首長ジカと森林の首の短いシカは、お互いに争うこともなく棲み分けて、平和に暮らしました。めでたし、めでたし。