1年間の自由になる小遣いは4億円
インタビューのとき、B氏は、
「この世のことで、お金で買えるものは、100のうち99あると思ってたよ。買えないものもあるかもしれない。でも、この世の中、お金に支配されてるんだから、お金で買えるものほどいいね。お金で人は言うことを聞くものなんだよ。たとえ私が月300万円お小遣いをあげていたとしても、アラビアの石油王が来て、宮殿に案内し、3億円あげるって言ったら、みんなそっちに行っちゃうよ。そういうもんじゃないかなぁ」
B氏はアキの他にも4人の女性と付き合っていた。
自分のベンツを会社名義で購入するなど会社経費にしたりで、B氏の1年間の自由になる金(小遣い)は4億円にのぼったという。それは、10人の社員を抱えていた会社の利益の約1割にあたった。時計はいつもダイヤモンドがちりばめられたもの。タイピンもダイヤ、スーツは一着40万~50万円のものを着ていたという。
「一晩で4000万円くらい株で儲かっていてね。『なんだ、寝てる間に儲かっても困るなぁ』って言ってた時代があったんだよね。今の100万円が当時の1万円」
そんなB氏にも、バブルのはじける時がやってきた。90年の末。崩れるのに2カ月しかかからなかったという。
物件を担保にして金を借り、その金で別の物件を購入するというやり方をしていたのだが、そのうち物件が売れなくなりパンクしたのだ。B氏は妻と逃亡し、半年の間日本中を転々とした。
その後、アキはコンピュータ関係の会社で事務の仕事をしている。バブルっ娘(こ)が、昼間働く普通のOLの生活にどうやって順応していったのだろうか?
ある日、私はアキとB氏が小雨の降る歌舞伎町を仲良く歩いているところに出くわした。
「お金で付き合ってないって言ったら、うそになると思うの。精神的なものも必要だけど、お金もないと、心が離れていくじゃないですか」
と語ったアキ。今では週1回食事をする程度で、ベッドインすることはほとんどないという。
「あの時、派手で品がなくても彼には輝きがあったのね。今、彼にはそれがないけど、この人なら運が強いかなって思えるから、再起に期待しているの。今度こそ、私のことを大切にしてくれると思うし」
アキはわざと元気よく言った。
「もし復帰したら、過去の女性とは復縁せず、誰もがハッと振り返るような若い女性と付き合いたい」と言うバブル親父が、バブルによって得たものは「人間の心」だったという。何年か後、B氏に再会したが、バブル当時の古びたスーツのジャケットのみを着て、「5億円の事業を・・・」と大きな話をしていた。
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バブルのころには、カード破産した女もたくさんいた。大手都市銀行の本店に努める洋子(仮名)は、はじめのうちこそ友だちと海外旅行を楽しむ程度だったが、やがて信じがたいほどの地獄に落ちていく……。