2019.08.26

あなたは何問解けるか?佐藤優が厳選、教養としての“頭の体操”!

新時代を生き抜く頭脳を磨け!

教育の欠陥と「教養の欠損」

私は2016年から母校の同志社大学神学部で学生たちに教えている。18年度からは毎回の講義で1時間程度を使って、彼らに地方上級公務員試験(大卒向け)の一次試験で出題される、教養試験の問題を解かせている。

こう言うと、「なんで公務員試験の勉強を大学、それも神学部の講義で?」と不思議が られるのだが、これは現在の日本の教育が抱える致命的欠陥である「高大接続」ギャップの解消、つまり学生たちが高校卒業までに教わる内容と、大学入学後に行う学問との間にある「深すぎる溝」を埋めるための教材として、地方上級公務員試験の過去問がうってつけだからである。

近年、日本の高校の授業内容は進学校と呼ばれる高校ほど大学受験対策に重きを置くようになっており、私立の中高一貫校だけでなく公立の名門校でも、生徒たちをかなり早い段階で文系と理系に振り分けるようになっている。

これにより、極限や微分・積分などを主に扱う「数学III」はほとんどの文系生徒には無関係なものになり、社会科や理科についても、自分の志望校に必要ないと判断すればかなりの数の科目を「捨てる」ことができるようになってしまった。極端な話、中高一貫校の卒業生の中には、中学のうちに「自分は私大文系」と決めてしまったので数学をまともに勉強したことがない、という人さえいるくらいだ。

だが大学に入ってみれば、経済学をはじめとして文系でも数学の知識を必要とする学部はある。それ以前の問題として、論理的にものを考えたり、数字など客観的な根拠に基づく議論をすることは、あらゆる学問、そして仕事をする上での基本である。 

さらにいえば、高校の教科書に書いてあるレベルの知識や教養は、人が社会で生きていく上で必要な「理解力の土台」でもある。このレベルの知識・教養をしっかり身に付けた人は新聞や一般書を読んでもより深く、すばやく理解できるのでそのぶん多くの本を読むことができるのに対し、高校レベルの知識・教養に抜け落ちのある人だとそうはいかない。だからこの両者の差は、後者の側が土台を作り直さない限りは開く一方となる。

後者にならない(あるいは脱する)ためには、まず自分の知識・教養の欠損がどの分野において生じているかを知り、埋めるための勉強をしなければいけない。だから私は自分の教え子たちにもその勉強をさせようと考え、教材選びには頭を悩ませた。そして色々と検討した結果、おおむね大学の教養課程修了レベルの水準を受験者に求めている地方上級公務員試験の教養問題はその最適の教材だと気づいた。

本書を読んでもらえば一目瞭然だが、「中学・高校レベルの知識欠損を抱えている人に公務員になってもらっては困る」という、出題者(つまり日本全国の自治体)の意図が実によく分かるつくりになっている。