「未成年なら死刑とは無縁」と考えていた
《漠然と、20歳までの未成年者ならどんな事件を起こしても、それが窃盗だろうが傷害や殺人だろうが、全員が全員、少年鑑別所へ行って、そこから少年院てとこへ入れられるものだという程度の知識しか持ちあわせていなかったのです》
死刑制度への、その楽観的認識には驚くべきものがある。
《死刑なんてものは自分とはおよそ縁遠いもので、一度殺人を犯しておきながら、刑期を終えてから、あるいは仮釈放中に懲りずにまた同じ過ちを犯すような、どうしようもない、見込みのない連中の受ける刑罰だと。五〇、六〇過ぎて人を殺すような奴らと一緒にされてたまるか、と》
唾棄すべき愚か者の“誤算”である。では二〇歳なら犯行を思い留まっていたのか?
《きっかけとなったその前の傷害事件や強姦事件さえ出来なくなっていたでしょうから、それ以降の雪ダルマ式に発生した殺人へも発展しなかったと思うのです》
死刑廃止論者は「死刑制度は犯罪抑止力にならない」と声高に主張するが、果たしてそうだろうか。関光彦を取材し、被害者遺族の怒りと哀しみを知る私はとても首肯できない。
著者を襲った異変
取材が終盤にさしかかった二〇〇〇年夏、私は大怪我を負ってしまう。夜遅く、満員電車で帰宅途中、駅のホームで倒れ、歯を一〇本余り砕き、顎の骨を折ったのである。
全身麻酔による手術(顎の骨折二箇所を金属プレートで固定)と三週間の入院生活は、家族を抱えるフリーにとって、かなり辛いものだった。しかし、このアクシデントは意外でもなんでもない。
私は三年に及ぼうとする獄中取材のストレスから、体調の異変(パニック障害と自律神経失調症、不眠症)を抱え、電車に乗る度に吐き気に襲われ、激しい目眩に悩まされるなど、日常生活にも支障が出ていた。大怪我は、この溜め込んだストレスが爆発した当然の結果、いや当然の報いである。

そもそも、第三者の立場、つまり安全地帯から他人の迷惑も顧みず強引な取材を繰り返す事件ライターが、関光彦のようなモンスターとかかわって無事で済むわけがない。生命まで取られなかった私はむしろ幸運といえるだろう。
手術後、ワイヤーであごをがっちり固定された私は、病院のベッドでカテーテルと点滴のチューブに繋がれ、身動きもままならないまま、自問自答するはめになった。
曰く、おまえが事件の当事者なら獄中の関光彦に冷静に取材できるのか? 所詮、無責任な安全地帯の第三者だろう。被害者とその家族への取材は傷口に塩を擦り込む行為にならないか? 一介のライターに彼ら彼女らの本当の苦しみ、絶望がわかるのか──?