2019.09.09
# 政治・社会

法廷は日本ムラの象徴だ! 元最高裁裁判官が語る日本人のタコツボ化

元最高裁裁判官の憂い
瀬木 比呂志 プロフィール

日本人が「自分の視点」にこだわってしまう理由

では、なぜ、日本の弁護士は、こうした自由な「視点の移動」ができにくく、自分側の当事者の視点に固着しがちになるのか。

1つの理由としては、日本の弁護士には、自分や同僚が裁判官になるという経験、感覚がほとんどなく、それを想像してみる機会もないことから、視野が狭くなりかつ視点が固定されがちだということがあると思う。これは、個人の能力の問題ではなく、集団全体の一種の「法的リテラシー・経験」の問題である。

また、自分や自分の当事者をも含めた周囲の世界を醒めた目で見詰める「透徹したリアリズムの不足」ということもいえるだろう。日本の弁護士には、やはり能力にかかわらず「自己の主観的確信の客観的検証」ができにくい傾向がある。信頼関係に基づいた本人寄りの視点とともに、それを検証する複合的な視点をも備えているかということだ。

こうして分析してくると、以上のような弁護士の問題は、実は、弁護士のそれにとどまらず、「タコツボ」社会、「空気」に支配されやすい社会、冷徹なリアリズムと経験論の不足した社会、安易な性善説に流されやすい社会、一言でいえば「洗練された巨大なムラ社会」である日本社会とそこに住む知識人、人々一般の問題でもあることが、おわかりいただけるのではないだろうか。

7月刊行の『民事裁判入門──裁判官は何を見ているのか』は、民事訴訟の入門書・解説書にとどまらず、民事訴訟のコアとなる概念や要素、さらに民事訴訟戦術の奥義と要諦についても論じた書物だが、併せて、日本社会論、現代日本人の法意識、裁判における認識論といった法社会学的なテーマにもふれ、また、プラグマティズム(アメリカ型経験論に基づく哲学的方法)の視点から、コミュニケーション、プレゼンテーション、書くことなどに関する実践的な技術をも説いている。

それら多面的な叙述の背後に背骨としてあるのが、この小文でもふれた「日本における法的・制度的リテラシー向上の必要性」という問題意識なのである。

さまざまな角度から民事訴訟とそれにかかわる法律家や人々のあり方を論じた書物として、参考にしていただければ幸いである。