香港デモ、現地各紙の「報じ方」はこんなに違う〜そこから見えること

Session-22×現代ビジネス
倉田 徹 プロフィール

荻上 ということは、「条例案の完全撤回」「警察の検証と責任追求」「キャリー・ラム行政長官の更迭と普通選挙の実施」「デモ隊逮捕・起訴の取り消し」「暴徒認定の撤回」のなかで、部分的に飲まれる可能性はある。他方で、普通選挙だけは意地でも抵抗されそうです。

倉田 まず、中国が守らなくてはならないのは、「体制」ですよね。現状の政治システム、それから、中央政府が香港に対して持っている最低限のコントロール、これを手放すわけにはいかない。他方、香港の人々は、現在の「自由な社会」を守らなくてはいけない。自分たちがイデオロギー的な統制を課されることは避けなくてはいけない。その両者の「根本的な利益」にさわらない形で妥協を求めると、結局は行政長官を交代させるといったことになるかと思います。

行政長官のキャリー・ラム〔PHOTO〕Gettyimages

荻上 なるほど。

昨日デモの衝突現場に行ってこんなことを思いました。現場には市民の方がたくさんいますが、その一方で、衝突現場は危険なので距離をとっている方もたくさんいますよね。しかし、メディアが集中的に、たくさん来るのは、その衝突現場なわけです。

そして、火炎瓶が投げられている様子や、放水の様子、催涙ガスが撒かれる様子とかを取り上げる。これは、良し悪しがありますよね。「これだけ大変なことになっている」というインパクトがあると同時に、「デモ全体が過激行動になっているんだ」と言わんばかりの取り上げ方もできてしまう。

 

倉田 そうですね。これは両方の意味で危ないと思います。

一方で、過激な場面ばかりが展開されているかのような印象を持たれてしまう恐れがある。今私たちは午後のお茶をしながら話をしているわけですけれども、こういう日常が実際に香港に存在するということを看過し、「香港=危ない場所」という風にとらえられかねない。

とくに私は中国での報道の受け止められ方を心配をしています。中国ではデモ参加者を批判しなければならないという側面があり、殊更に暴力性が強調された報道がなされがちです。結果的に、中国の香港に対する反発、「香港の連中はとんでもない」という世論が支配的になってしまう危険性があると思うんです。

他方、逆に、「確かにデモをしている人々はいるけれど、それはごく一部であって、香港全体は通常営業している」という側面ばかりを強調すると、それはそれで、香港の人々が通常の生活をしながらいろんな思いを持っていることを無視することになる。それも間違いだと思うんですね。

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