2019.10.02
# 企業・経営

三菱UFJと三井住友「ATM共通化」は、現金・ATM消滅への布石か

まもなく「遺物」になる

「給料袋」が「データ」になるまで

ざっくりATMが社会インフラになった経緯をおさらいしておこう。

金融機関は法人や個人の資金を預かり、それを元手に融資したり債権を購入するなどして利益をあげてきた。顧客を囲い込むために入出金の手数料は無料、他行への振込みは手間がかかるため有料、という点は手続きを人手でこなしていた時代から同様だった。

現金自動支払機(キャッシュディスペンサー)が登場した1960年代後半、銀行振込みでの給与支払いが普及した。これが、お父さんの権威が失墜するきっかけになった。給与が給料袋に入った現金から通帳の数字に変わり、管理権限がお母さんに移ったのだ。

 

給与が銀行振込みになれば、余剰金は自動的に預金となり蓄えられる。定期的に一定額が振込まれてくるので、個人向けの長期融資もできるようになった。金融機関はキャッシュディスペンサーを顧客囲込みのツールと位置付けて、定期・定額預金、住宅・自動車ローンに力を入れていった。

1980年代に入ると、複数の金融機関の間で資金決算を行うネットワークが構築された。1984年1月に稼働した都銀13行のBANCS(BANks Cash Service :都銀キャッシュサービス)、89年10月稼働のACS(All Japan Card Service:全国カードサービス)がその代表格だ。

BANCSとACSは1990年2月に全国キャッシュサービス(Multi Integrated Cash Service:MICS)に移行し、2004年1月からはNTTデータが運営する「統合ATMスイッチングサービス」を利用している。これにより郵貯銀行やコンビニに設置されているATMともデータ交換ができるようになった。つまり、ATMネットワークがデータを共有し「インフラ」になったのは、2004年である。

キャッシュディスペンサーの機能は現金を支払うだけだったが、磁気ストライプ付きキャッシュカードの規格統一が図られた1973年を境に、都銀を中心に第2次オンラインシステムの開発がスタートした。入出金と振込みの機能を備えたATMが登場したのは1980年で、煩雑な振込み作業が自動化された。

それによって金融機関は、大幅な労務とコストの軽減を実現した。ただし「自動化」の実態は、「顧客に端末を操作させて行員の手間を省く」というものだ。本来なら顧客は代行料をもらってもいいところだが、それまでの慣習に則って「振込みは有料」が継続された。

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