土井善晴はどうして「家の中の多様性」を大切にするのか

「食卓」は、家庭それぞれでいい
中原 一歩 プロフィール

時間に支配されているのが「時間厳守」です。だいたいでいいという感覚の方が健康的です。正確さを要求することは、機械にやらせておけばいいんです。世界基準、グローバルといったときに、まず時間を合わせて世界の人に迷惑がかからないように、時間を守らないとなんて思うのですが、時間より大切なこと、たくさんあるでしょ。

時間に支配されなくなれば、品質に価値が見出されるようになるかもしれません。時間をたっぷりかけるようないい仕事を残すことができるようになればいいと思います。それは多様性を豊かにすることにつながりますね。自分の時間は自分でコントロールすることで多様性は実現されます。

多様性を求めるのは、世界の流行りでもなくて当たり前のことです。他者を認めることです。考え方は色々あって当たり前で、自分と違うことをしている人を見つけても、それが迷惑にならなければ、「自分は嫌い」だとか否定するようなことを、なくすことです。

多様性は、差異を面白がるもの、違いを発見してよろこぶことです。それはすべての人間を求めることです。オリジナリティ、個性、独創性、創造なんてことは、多様性を単純化した社会には育まれないんです。

 

自分と違うものが見えるから面白い

土井にとって「料理」における自由とは何なのだろうか。多様性を認めながらも、絶対にやってはいけないこととはなんだろうか?

料理における「自由」とは何かってことですね。

自由も様々ですが、なんでもありだっていう自由は、料理にはありません。それは、料理は食べるもので、人間の命に関わることだからです。近年にもデタラメな調理で人が死ぬことだって実際にありました。だから、作る人には「調理の基本」があって、食べる人には「マナー」があります。基本とは、命を守るものでもあり、また、おいしさや楽しさにもつながることです。

基本やマナーとは、それぞれの民族の「食文化」です。民族の食文化はそれぞれの国の気候風土や宗教、交流、歴史的事件などから、生まれてきたものです。食文化を守ることで民族の命は守られ、私たちは今ここにいるのです。

食文化は尊重すべきものですね。意識して守るべきものです。食文化は人間の歴史、強さを表すものです。民族の個性や思想、慣習、日常の習慣の多くはその食文化によって育まれてきたものです。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2019 お正月

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食文化は、人間のアイデンティティです。食文化をみれば、その人が、どこからきたか分かります。

それぞれの民族には、食事(調理、食べ方)に形があります。大切なのは、その形を守った上での工夫です。その工夫には無限の自由があるでしょう。工夫は、食事の場という毎日の変化の中に起こるものです。ゆえに工夫には理由があるし、必要です。

赤福に味噌汁という献立は、個人的な理由があって、楽しんだだけのことです。個人的にこれとこれの食べ合わせが好きだというのがあれば勝手にやればいいことで、人に勧めることではありません。自分と違うことが、ツイッターで見られるから面白いのです。それを咎めてどうするんですか? 

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