2019.09.29

「鉄道員の息子」が講談社創業社一族に「婿入り」をした理由

大衆は神である(69)
魚住 昭 プロフィール

われわれとは関係のない人 

当時の講談社の従業員総数は530名余。そのうち少年部員および少年部出身者が大半を占めていた。「(彼らは)団結心が強く、よく働き、特に清治が没する前に入社した者は、文字通り清治を神の如く崇拝していた。(略)彼らには、講談社を支え、日本一の出版社にして来たという自負があり、愛社心が極めて旺盛であったが、反面、排他的傾向もなくはなかった」と『野間省一伝』には記されている。 

講談社の社員構成でもうひとつの特徴は教育出身者が多いことだった。 

清治自身が教育者であったから、その友人や、友人でなくとも地方の小学校の校長や教師をしていた者を積極的に採用した。つまり講談社は家庭の事情で学歴エリートになれなかった少年たちと、そういう彼らの気持ちをよく知る元教師たちからなる集団だった。 

少年部出身者にとっても、元教師たちにとっても、学歴エリートの頂点に位置する省一は、自分たちが馴染んだ講談社の社風とはまったく異質な存在だったろう。 

 

戦後、雑誌『群像』の名編集長として知られる大久保房男(おおくぼふさお)は昭和21年に入社したとき、社員たちのなかに「何も知らない、われわれの関係のない人(省一)に講談社を横取りされた」と話す者がいて「ああ、講談社にはそういう雰囲気があるんだなという感じ」を持ったという。 

清治への崇拝心は根強く、清治の血をひく「昭和の武蔵」寅雄に対する待望論は社内にまだ息づいていた。 

省一は逆風のなかでの船出を余儀なくされたのである。  

註① 野間省一伝編纂室『野間省一伝』(講談社、1996年)より。
註② 同前
註③ 同前
註④ 同前
註⑤ 同前 

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