「逃げずに火を消せ」と命じた日本政府
この空襲は非戦闘員を狙った国際法違反の大量虐殺であり、アメリカ軍の行為は絶対に許されない。それと同時に、日本政府がこの空襲にどう向き合ったかも問われる。
なぜなら、日本政府は、このときまでに「空襲は怖くない」という情報操作と「空襲から逃げるな、火を消せ」という防空法によって、国民が防空戦士として空襲に立ち向かうよう指示していたからである。
物資窮乏のため消火ポンプも消防車も絶対的に不足し、消火栓も整備されていない。そうしたなかで、消防隊に頼らず町内会(隣組)が消火する自己責任が原則とされた。
その基本は、軒先に溜めた防火用水のバケツリレーである。水が足りなければ濡れた筵(むしろ)、砂、ハタキを使う。防空壕に隠れず、すぐ飛び出して火に突撃する。こうした防空指導が全国で実施された(詳しくは、「『空襲から絶対逃げるな』トンデモ防空法が絶望的惨状をもたらした」を参照)。


これらが実戦で全く役に立たないことは、10・10空襲以前から分かっていた。1941年(昭和16年)11月17日には帝国議会で水野甚次郎・貴族院議員が「高熱の焼夷弾に小さなバケツを持って近づくことなどできない」と指摘していた。
警視庁消防部は1941年作成の文書「消防上ヨリ観タル空襲判断」で、現有の全ポンプ車が出動しても都心部は壊滅的被害を受けると予測した。
政府はこれらの指摘を徹底的に無視してきた。ところが、沖縄の空襲は事実をもって従来方針の誤りを証明した。逃げずに火を消せというのは自殺命令に等しいと分かった。
この時点で、日本政府は沖縄の教訓を学んで方針を転換するべきであった。