私は何にこだわっているんだろう

自分が「血のつながり」の何にこだわっているのか、周囲の意見も参考に何度か考えてみたが、腹落ちする答えを見つけることができなかった。我が家は父方の祖母も母方の祖母も、後妻であったため、私の両親とは血がつながっていない。幼少の頃から、父と祖母の関係、母と祖母の関係をそれぞれ見てきたが、そこに特に違和感はなく、情が薄いという印象を受けるでもなく、いわゆる普通の親子関係だったと感じている。

もし血がつながっていたらこの二組の親子関係はもっと異なる形をしていたのか? と考えてもみたが、比較しようもないので途中でこの思考は放棄した。また、子供に自分に似たところを見つけると理屈抜きで愛おしいとか、血がつながっているから最終的に許せることもあると聞くことがあるので、自分と両親との関係に照らし合わせて考えてみた。確かにそうなのだが、逆も然りで、血がつながっていると思えばこそより一層憎らしいとか許せないということもある

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血のつながりが親子関係を形成するにおいてどれだけのウェイトを占めているのか? 親子関係は形成される過程が複雑な上、可変的なので、本当のところは当人同士にしか分からない。これもまた答えが出ない問いだと気づき、つき詰めて考えることを止めたのである。

生まれてくる子供が母親と血がつながっていないことをどう受け止めるか、生物学的な母親(卵子ドナー)を知りたいと思ったらどうするのか。台湾の第三者卵子提供に関する法律では、ドナーの匿名性が担保されなければならず、提供を受けた夫婦も生まれてくる子供も、ドナーが誰なのかを知ることはできない。生まれてきた子供が将来「本当の母親」を知りたいと訴えても、親としては、それは出来ない・そもそも知る方法が無いと答える他ない。

自己卵子での治療にこだわる割には、自分との血のつながりを強く求める理由もなく、つまるところ、子供と血がつながっていない場合に今想像できていない「何か」が起きること/本来起こるべき「何か」が起こらないことが不安だからその不安を取り除くために自己卵子で産んでおきたい、自分の腹の底をさぐるとその程度の説明しかできない。

こんなことをグルグル考えながら、まだ国内で自己卵子での治療を続けるという選択肢もあり、違う治療方針の病院に転院すれば案外すんなり上手くいったりするのではないかという淡い期待もあった。結局、今までの治療を続けながら、卵子提供を受ける計画も並行して検討するという状態を、半年くらい続けたのである。

「家族」「親子」と一言でいっても、様々な形がある。そこに「血のつながり」があることで何が変わるのか。それは、当人でしかわからないことだ Photo by iStock

次回は10月23日公開予定です。

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