講談社が陸海軍から、圧倒的に「優遇」された「残念な理由」

大衆は神である(71)
魚住 昭 プロフィール

日本報道社に関する竹中の証言は簡略すぎてわかりにくいから、補足説明をさせていただきたい。同社は、陸軍報道部の要請により講談社が斡旋役になって設立された出版社である。

従来、陸軍に関係のある雑誌や本を出版していた社や団体が、陸軍の友社東華堂、陸軍美術協会、教学社、陸軍画報社など7〜8社あった。それらの社が昭和18年から19年にかけての出版界の大整理で1社に統合されることになったが、やってみると、基準ポンド数が足りない。

そのため陸軍省から講談社に対し、ポンド数を寄付してくれないかと要請があり、講談社の用紙割当量から2000ポンドを寄付した。次いで所要資本金60万円も足りないから出資してくれと言われ、講談社が不足分を出資した。

日本報道社は赤坂の山王ビル4階にあった大東研究所のあとを事務所として、昭和19年7月、株式会社として発足した。創立当時の代表者は講談社の淵田忠良(社長)、黒川義道(代表常務取締役)の二人。社員は講談社や教学社、元大東研究所員ら数名だった。

日本報道社の雑誌『征旗』には、陸軍美術協会が深く関与した。『征旗』創刊号には当時、日本美術協会副会長だった藤田嗣治(ふじた・つぐはる)が「協賛の言葉」を寄せ、「『征旗の創刊されるに当り、毎号口絵八頁づつ、陸軍美術協会に於て然るべく協賛すべきやう、陸軍省報道部の当局のお話であつた」と書いている。

実際、その通り陸軍美術協会所属の画家たちが毎号絵筆をふるった。判型から見ても『征旗』は、同じ講談社の『若桜』や『錬成の友』などとは異なり、B5判と大きめであり、視覚効果を意識していたことがうかがえる註4

 

「異形のコングロマリット」

日本報道社の誕生は、講談社が事実上、陸軍との共同経営に乗りだし、事業範囲を拡大したことを意味する。

すでにふれたが新聞界は情報局の指示で、全国紙のほかは「一県一紙」という体制となっていた。また、通信社についていえば、清治存命中の昭和11年(1936)1月に政府主導で新聞聯合社と日本電報通信社という二大通信社がなかば強制的に統合され、「国策通信社」としての同盟通信社が生まれていた。同社には政府から莫大な助成金が交付された註5

同じ報道や言論の企業といっても出版は資本が小さいこと、書籍や雑誌も基本的には多品種少量生産であることに特徴がある。いわば多様性にこそ本質がある。しかし、この時期の講談社は軍部(とくに陸軍)と結びつき、業界の大整理と統制、そしてプロパガンダの尖兵となることによって異常な拡大を遂げ、莫大な利益をあげていた。

さらに講談社は、軍用および放送用録音機・レコード製造の大比良貿易店から事業一切の移譲を受けて大日本録音工業社を創設(昭和18年9月)、また富士音盤(キングレコードを改名)西宮工場を改変し、レコードならぬ航空機部品を生産する富士航空株式会社としたほか、さらに金属加工会社の経営にも参画した註6

その一方、台湾、満州、中国本土でも事業計画を進めた。雑誌出版に出発した講談社の社業は、軍需生産の分野にまで広がっていったのである。

清治と恒が没して6年、アジア太平洋戦争末期の「大日本雄弁会講談社」は「異形のコングロマリット」と化したといってよかった。

註1 櫻本富雄『本が弾丸だったころ──戦時下の出版事情』(青木書店、1996年)より。なお同書では「挺身隊長」となっている(『野間省一伝』や註3の『改造社の時代』も同様)。註2の池末証言のみ「挺進隊」の表記である。辞書的には「挺進」は「大勢のなかから一人だけ先に立って進むこと」、「挺身」は「人の先頭に立ち身を投げ出して物事をすること」を意味する。また「挺進隊」は「特別の任務を帯びて本隊に先行し、独立して行動する部隊」をさす。本稿では隊の性質にかんがみ「挺進」の表記を採る。
註2 『緑なす音羽の杜に OBたちの記録』(講談社OB会幹事会、1991年)より。
註3 水島治男『改造社の時代 戦中編』(図書出版社、1976年)より。
註4 掛野剛史「戦時下メディアの諸相(一)――日本報道社と雑誌『征旗』」(『論樹』2014年)より。
註5 敗戦直後の昭和20年9月14日、GHQは同盟通信社に即時業務停止を命令、10月31日をもって同社は解散し、共同通信社と時事通信社に分離する。
註6 キングレコードは昭和17年2月にタイヘイレコードを戦時統合によってなかば強制的に買収し、西宮工場および尾久工場としていた。
金属加工会社については五十年史に「鈴木金属興業」として出てくる。おそらくは「鈴木金属工業」のことではないかと思われる。同社は昭和13年(1938)創業、日本でピアノ線の国産化にはじめて成功した会社として知られる。昭和18年(1943)1月に王子区(現・東京都北区)赤羽に新工場を取得、指定軍需工場となっている。赤羽の兵器支廠のすぐ近くには野間家の別荘があり、その縁もあっての経営参画ではなかろうか。本稿執筆時、確証はないが、さらに考えたい。なお、鈴木金属工業は2015年に新日鐵住金(現・日本製鉄)の完全子会社となり「日鉄住金SGワイヤ株式会社」と改称、2019年4月からは「日鉄SGワイヤ株式会社」となった。

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