2019.11.10
# 週刊現代 # エンタメ # 芸能人

六本木が「日本で一番ヤバい場所」だった時代を知ってるかい?

あらゆるスターが集まった街

キャンティの人々

「私にとって六本木は、多感だった10代に遊び歩いた、思い出の街です。六本木に入り浸っていたのは私だけでなく、萩原健一さんや沢田研二さん、堺正章さんなど、本当にいろいろな方々が集まっていました。あの街は、私の青春そのものです」

女優で歌手の小川知子さん(70歳)は、懐かしむような表情で当時を振り返る。

'70年代、六本木は「日本で一番熱い場所」だった。そこではショーケンやジュリーなど、名だたるスターたちが集まり、飲み明かしていた。

「待ち合わせといえばアマンド」の合い言葉で知られる洋菓子店アマンドや角形ピッツァが売りのシシリアなどが立ち並ぶなか、当時から存在感を放っていたのが飯倉片町にあるキャンティだ。

Image by iStock

'60年代から六本木で暮らす「生き証人」の写真家・立木義浩さん(81歳)が回想する。

「キャンティは文化人や芸能人、芸術家のたまり場になっていました。あの店に行けば、いつも誰かがいるんです。常連だったのは、かまやつひろしさんに加賀まりこさん、安井かずみさん、コシノジュンコさん、挙げればキリがありません。

あそこは会員制ではなく、誰でも入店できる。ただ、他の店とは違う雰囲気が漂っていました。店内の壁の色も暖色で落ち着いていて、気の利いた生花が飾られていた。店自体は決して広くはなかったけれど、上品なムードでした。

 

その頃、私はキャンティのすぐそばにある秀和狸穴レジデンスというマンションの8階に住んでいたんです。ご近所さんですから、店に入り浸り。

作曲家の黛敏郎さんの息子さんが『いま、父とキャンティで飲んでいるからご一緒しませんか』と誘いに来てくれたこともありました。

マンションには、石坂浩二さんや脚本家として駆け出しの倉本聰さんも遊びに来た。倉本さんは、当時から映像作品のイメージが次々と湧き出ていたようで、『8ミリカメラでもいい。映画を撮ってみたいんだ』と語っていました」

関連記事