「自分/他人は何者かである」という考えは、つねに誤謬である

失われた小説をもとめて【4】
藤田 祥平 プロフィール

私は直線が嫌いだ

銀齢の淑女たちから自分を解放したのち、私は青森市駅周辺をさまよった。見知らぬ街の、夏の長い日没の、ふと足をとめて、いつまでこの薄暗さがもつのだろうと訝しむ、あの時間だ。

歩いているあいだじゅう、私は奇妙な不安につきまとわれた。街のどの角を曲がろうとも、大通りのいちばん奥のほう、歩いて行けば十五分はかかるだろうと思われるくらいの遠くに、奇妙な、人工的な三角形が鎮座していて、私をじっと見つめているのだ。

いま調べてその正体を知ったが、それは「青森県観光物産館アスパム」というらしい。

汚い金の匂いがした。

私はその建物が視界に入らないように、逃げるようにして半地下の居酒屋に迷い込み、そこで貝焼き味噌たる料理(うまかったのでおかわりをし、二枚食べた)をアテにして散々酒を飲み、泥酔し、また街に迷い出た。

夜が来ていた。蛍光色の緑色にライトアップされた、奇妙な、人工的な三角形が、私をじっと見つめていた。

そもそも、私は直線が嫌いだ。文明における直線のおびただしい濫用は、人類の、生からの逃避のあらわれであると思う。直線は人間本来の美的感覚に反したものだと思う。

建物の長方形なら、まだ我慢できる。嫌いではあるが、見慣れているからだ。仕方がない。虫に食われながら寝るなど、とてもできない。情けないけれど、私は直線のなかで生まれたのだ。

 

しかし、三角形となると、これはもう駄目だ。我慢できない。

私はあのいやらしい三角形が見えなくなる通りまで歩いた。

もう夜が来ていて、薄暗く、なにもかも頼りなかった。

もう飲まなくてもよかったのだけれど、頼りない気分のせいで、ある店の軒先で足を止めた。

外壁に飾られた、とても見事なねぶた祭りの絵に惹かれ、入店した。

それは小料理屋と割烹のハイブリッドであると思われる店で、死んだ私の母よりはすこし若いくらいの女将がカウンターの内側に立って、微笑みで私を迎えた。

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