2019年9月3日。渋谷ヒカリエにて開催していた「超福祉展」の会場で、乙武洋匡さんがエンジニアの遠藤謙さん、義肢装具士の沖野敦郎さん、理学療法士の内田直生さんらプロジェクトメンバーと義足プロジェクトの報告を行っていた。

9月3日に行われた超福祉展にて 撮影/森清

報告会終了後、壇上を降りた乙武さんのところに挨拶にきた一人の青年がいた。「乙武さん!ようやくお会いできてうれしいです!」。そしておもむろに右手を「外し」、断端といわれる手の切断面と乙武さんの断端とで握手を交わしたのだった。

気づけば病院のベッドの上に

この青年、山田千紘さんは、1991年9月22日生まれ。彼はもとから右手がなかったわけではない。現在は右手と両足がないが、産まれた時は両手両足があり、小学校5年生までバレエを習っている活発な男の子だった。20歳の時に事故に遭い、右手と両足を失った。現在は一般採用で株式会社JALエアテックに勤務、プライベートではアイスランドのOSSUR社の義足モデルをつとめるなど活躍している。

神戸で開催された義足義手世界学会にてモデルとして参加した山田さん(写真前列右から2人目) 写真提供/山田千紘

山田さんが事故に遭ったのは、2012年7月24日。深夜に電車のホームから線路に転落、電車に轢かれながらも命を取りとめた。しかし、右手と両足の切断を余儀なくされた。

 

4月からケーブルテレビの営業職についたばかりだった。熱を入れて工夫をすればどんどん仕事がうまくいき、楽しくて仕方がなかった。寝る間を惜しんで仕事と人生を謳歌していた。

7月24日その日は、午前中から具合が悪かった。風邪を引いたのだろうとアポイント日程を変更してもらった。しかし、夜は自分が幹事となっている会社の飲み会があった。まだ新入社員、自分がやらなければ。山田さんはお酒が大好きだが、この日は飲むことができなかった。会社の上司から「どうした、具合悪いのか?」と声をかけられたことは覚えている。それでもいつも通り、終電まで飲み会につきあった。

そこからは実は記憶がない。気づけば、病院のベッドの中にいた。実はすでにICUに10日ほど入院しており、その間意識不明だったことなど本人は知る由もない。