ふさぎこむ入院生活から抜け出すきっかけになったのは、友人たちだった。高校時代の仲良しからLINEがきたのだ。
「いま病院にいるんだけど、何号室?」
親しい友人には、兄から「入院している」とだけ知らせていたらしい。つまりは、右手両足を失ったことは知らないはずだ。腹をくくるしかない。でも姿をみせたくない。山田さんは布団をかぶって寝ていた。部屋に友人二人がはいってきたので、「おいおい、事務所通せよ!」とかつてのテンションで話しかけた。
「そうしたら入ってきた二人が『なんだ、元気そうじゃん』って入ってきたんです。布団はかぶっていたけど、その下にはなにもないことは分かったはず。でも今までと変わらずに話してくれた。
1時間くらい病室で話をして、『広い所いこうぜ、びっくりすんなよ』ってぼくが言って布団を取ったんですが、彼らの反応が薄くて。広い所にいって2時間くらいくだらねー失恋話とかして、じゃあなってエレベーターホールで送り出した時、『あ、怪我のことを何も聞かれてない』って気づいたんです。ドアが閉まった瞬間に、涙があふれて止まりませんでした」
死ぬことが頭を支配していた時、山田さんはいろんなことを考えていた。自分はなんて親不孝なんだろう。親と喧嘩もよくしていたし、大学も中退して、そうしたら怪我してこんな風になっちゃって、それなのに色々やってくれて――仕事が終わってから毎日のように来てくれる両親に「申し訳ない」という気持ちでいっぱいだった。ある意味、自分は「生きる価値がない」と感じてしまっていたのだ。親の立場でいれば、生きていてくれるだけでありがたかったのだろうが、とてもそう思えずにいた。

「友だちが変わらずに接してくれたことで、『変わったと思ったのは自分だけなんだ』と気づいたんです。“右手と両足を失った自分はいままでの自分じゃない”って思っていた。でも他のひとはぼくにたいして変わっていなかった。考えてみたら、右手と両足が『ないだけ』だしな、気持ちまで変えたらダメじゃん、と思えるようになったんです」