2019.10.30
# 国際・外交

追悼・緒方貞子さん「身長5フィートの巨人」その多大なる功績の全貌

彼女の「プリンシプル」とは何か
戸田 真紀子 プロフィール

満州事変を研究した博士論文

緒方さんは略年表に書いていますように、新制大学の1期制として聖心女子大学に入学されます。そしてその学長であったマザー・ブリッドから非常に大きな影響を受けます。ここからは学生の皆さん、ぜひ見てくださいね。

マザー・ブリッドが学生たちに言っていた言葉です。「自立せよ」「灯を掲げる女性となれ」「鍋の底を磨くだけの女性になってはいけない」「結婚のことを考えるぐらいなら(結婚なんて、一回したらずっとしているんだから)、勉強をしなさい」。緒方さんはこういう教育を受けました。

その後、アメリカに留学されます。博士課程はカリフォルニア大学のバークレー校に入られて、この写真に写っているスカラピーノの指導を受けます。

その博士論文ですけれど、日本語のタイトルは「満州事変政策決定過程の研究」で、日本に一時帰国されたときに、当時の軍、政府指導者に聞き取りを行っています。元関東軍参謀の片倉衷と、元外務大臣、ご自身の祖父ですけれども、芳沢謙吉に聞き取りをしています。詳しくは『満州事変─政策の形成過程』(岩波現代文庫、2011年)をご覧になって下さい。当時の様子がとてもよく分かります。

満州事変の後、軍の暴走になぜ歯止めがかからなかったのかという理由については、日本政府指導者、陸軍中央部、関東軍の無責任の体制があったと、緒方さんは書かれています。

 

家族の支え

次は子育てです。『紛争と難民─緒方貞子の回想』に、「最後に夫の四十郎と二人の子ども、篤とアキコが私を理解し、励ましてくれたことに感謝します。難民支援のために、世界中を飛び回っている間、留守にしがちであった私を常に変わりなく支えてくれました」という言葉を残されています。ほかの本でも、夫が本の校正をしてくれた、この本は家族の作品であるというようなことが書かれています。

女性だから必ずこうなるということはありませんが、緒方さんは女性として、そして母親としての経験から、平和構築において女性を支援するという視点をお持ちになり、色々なプロジェクトを始められました。

その一つとして、先ほどのルワンダで1997年1月から始まった、「ルワンダ女性イニシアチブ」というのをご紹介します。1994年7月中旬にルワンダ内戦は終わりました。その時点で50万から80万人が殺され、また内戦終結後に難民となって逃げた人も多かったので、その時点でルワンダの人びとの7割が女性でした。

10代のお姉ちゃんが、弟や妹、そしていとこたちを養わないといけない。年配の女性が生き残った子どもたちを育てていく、コミュニティーの中心となっていく。そういう状況が生まれました。そのために女性の能力を向上するためのプロジェクトや収入を得るための活動の訓練、識字教育や農業技術、焼き物づくり、縫製といった教室、そして女性の権利とは何かについての啓蒙活動…こういったことが、ルワンダ女性イニシアチブという名前のもとで推進されました。

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