地球のみなさん、こんにちは。毎度おなじみ、ブルーバックスのシンボルキャラクターです。今日も "サイエンス365days" のコーナーをお届けします。
"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。
明治5年旧暦の11月9日(西暦では1872年12月9日にあたります)、明治政府がそれまでの旧暦(天保暦)を廃止し、新暦(太陽暦)を採用することを太政官布告第337号で布告しました(改暦の布告)。

明治5年12月3日を、明治6年1月1日にする、といきなりの布告。1ヵ月足らずで変えてしまうという、今では考えられない急展開ですね。しかも12月は、なんと2日間しかありません。
- 明治5年11月9日(12月9日)・・・・・改暦の布告
- 明治5年11月10日(12月10日)
- 明治5年11月11日(12月11日)
- …
- 明治5年11月29日(12月29日)
- 明治5年12月1日(12月30日)
- 明治5年12月2日(12月31日)
- 明治6年1月1日 ・・・・・新暦の施行
- 明治6年1月2日
- …
さすがに当時でも混乱が生じ、庶民には当然ながら不評でした。余裕のないその改暦の裏には、諸外国からの要請、明治政府の財政上の都合、などがあったようです。財政上の理由という点では、12月は2日しかないということで12月の給与を省略しました。それに加え、旧暦では閏年で1月分多くなる人件費を節約したそうです。
それまで日本で使われていた天保暦(天保壬寅元暦・てんぽうじんいんげんれき)は、月の満ち欠けを基準にした太陰太陽暦で、渋川景佑らが編纂した暦です。渋川景佑は、天文暦学者で伊能忠敬の上司でもあった高橋至時の次男で(渋川家に養子に出た)、父の至時、そして兄の景保とともに西洋暦『ラランデ暦書』を研究し、翻訳も実現させました。
『ラランデ暦書』は、フランスの天文学者でフランスの天体暦や航海暦の編集者でもあったジョセフ・ジェローム・ラランド(Joseph Jerome Le Francais de Lalande、1732-1807 )の"Astronomia of Sterrekunde"のことで、長崎からオランダ版が国内に入ってきたと考えられています。
さて、明治の改暦ですが、急な改暦はやはり無理が生じたようで、旧暦もしばらく補足的に併用されたようです。
この11月9日をもって太陽暦採用記念日とされていますが、西暦で考えたら太陽暦12月9日がふさわしいのでは? と考えそうなものですが、旧暦上の日付が記念日となっています。