「神の山」が爆破されるという日常
武甲山はセメントの原料である石灰石が採れる鉱山だ。秩父でのセメント産業が始まっておよそ100年になる現在も採掘が行われている。石灰岩採掘が繰り返された山の内部はすっかり穴だらけで、無数の坑道が通る様はまるで蟻の巣のようだ。かつて山頂へと続いていた北斜面の旧登山道は今では使われていないが、ダイナマイトにより発破された巨大な岩が木々などをなぎ倒し破壊されている光景を見ることができる。

私が通った横瀬町の学校は武甲山から近く、毎日12:30に聞こえてくる爆破音は、昼休みのチャイム代わりだった。恐ろしいもので、地域のシンボルである神の山が爆破されるという行為さえ、日常になれば何とも思わなくなるのだ。
かつての山の姿に、言葉にならない衝撃
山は確かに身近な存在ではあったが、子供の頃の私にはふるさとの秩父にこれと言って関心などなかったし、田舎なのが嫌で、早く都会に出て行きたいと思っていた。私は高校を卒業すると、子供の頃から好きだった南米音楽を勉強するためにペルーへ渡り、約4年間アンデスの村々を旅しながらギターを弾き、音楽の勉強をした。
「秩父」や「武甲山」を改めて認識したのは帰国後のことだ。地元の図書館で写真家・清水武甲さん(1913-95)撮影の、破壊される前の武甲山の姿を見たときだった。

子供の頃に見た武甲山はすでにボロボロだったが、今ではさらに破壊が進んでいて、私は清水さんの写真に写る昔の武甲山と秩父の風景に、言葉にならない衝撃を感じた。そこにあったのは、自分の住む同じ町の見たことも、そして、これから見ることも決してない、二度と取り戻せない山の姿だった。長年、田舎に感じていた劣等感が一瞬で打ち砕かれるとともに、自分自身の「アイデンティティ」を突きつけられたような気がした。それは絶望にも似た強烈なカルチャーショックだった。