筆者が念のため熊本県庁の広報グループに取材したところ、県民性として「他人が握ったおにぎりが食べられない」という傾向については、何とも言えないし、県庁の関係各所に問い合わせても、そのようなデータを裏づけるものは見当たらないということであった。まあ、他人の握ったおにぎりが違和感なく食べられるかどうかのデータなど、県庁にも無いだろう。
ただ、教え子の熊本県人に電話取材したところ、「私の身のまわりの知人を見渡すと、他人の握ったおにぎりが食べられないという人は、50人中2~3人ではないか」と、のコメントが返ってきた。これが真実なら、全く逆ではないか。
番組には視聴者の興味を引き付けるため、内容に多少の誇張があったと思われる。だが、いろいろ調べてみると、小学生を対象としたものだが、有力な関連データが見つかった。
半数以上の子どもが「食べられない」
ベネッセ教育情報サイト(2018年)によれば、小学生の子どもを持つ保護者を対象にしたアンケートで、「お子さまは、どのおにぎりなら食べられますか?」(複数回答)という質問に対し、お母さんが握ったもの(85・6%)、友人・知人が握ったもの(45・8%)という結果が出たそうだ。この数字からすると、54.2%の子どもが「他人(知人・友人)が握ったおにぎりを食べられない」と感じていることになる。

どうしてこのような状況になったのか。一つ言えることは、他人が手で触れた食べ物に対する違和感、拒絶感があるのだと考えられる。人と人の交流が稀薄になったこと、さらには地域でのイベントや祭りの減少などにも原因がありそうだ。住宅の数は増加しても、家と家との距離が開き、人と人、心と心の距離も広がりつつあるのではないか。日本独特の和の精神や、村社会の概念も崩壊しつつあるのだろうか。
それにしても、我々指導者の目から見ると、本問はよく練られ、医師を目指す受験生の能力・資質を医学の話題を使用せずに探ろうとしている点で良問である。
私が本問に接しまず気付いたことは、医師という職業に従事した場合、将来遭遇するであろう3つの事項が、課題文の中にさりげなく盛り込まれているということである。
それは、(1)少数者の人権尊重・擁護に対する考え方、(2)高齢者に対する意識の度合い、(3)言いにくい事柄を他人に告白する際の話術の3点である。